文化祭のシーズンがやって来た
会社勤めが長くてすっかり季節感を失っていることに気が付いた。実は世間では文化祭のシーズンだったのだ。というわけで、何故か今年はここ何週間かの週末は妻と交代で娘を伴って、あちこちの中学・高校の文化祭巡りをしている。娘はまだ小学生なので、自ら出かけてみたいと言い出したわけではない。文化祭巡りは将来のお受験に備えた志望校絞込みのための下見、というのが世間の常識なのだそうだ。僕はかつて中学進学にあたって受験した方なのであるが、そんな事は夢想だにしなかった。週末は心ゆくまでベッドにもぐり込んでいることに極上の幸福感を感じる僕としては、仕方が無いので眠い目をこすりながら早起きをして出かけざるを得ない。はいはい、娘のためですね。わかりました。
どうやら文化祭を開催する側もそのあたりの事情は心得ていて、将来のお受験組を如何にもてなすかという点に心を砕いたりしている。中には訪れるだけでもれなくお菓子を配るところもあって、娘にとっては無料の遊園地みたいなものだ。学校も様々で、企業経営とは違うとばかりに孤高の信念を貫こうとしている学校もあれば、つまるところはビジネスとばかりに割り切っているかのように見えるところもある。ビジネスと言ったって、生徒を単なる金づると見なすわけではない。学校「ビジネス」を長期的な成功に導くためには、質の良い生徒を多数集める必要があり、そのためにはやはり教育の理念とか校風とかを整備しなければならないのだから。ただこのあたりの合理性を明確に感じたのである。
では我が家では訪れる学校をどうやって選択しているのかと言うと、実はかなりいい加減である。どうせお受験するとしてもまだ先の事だし、校風なんぞ皆目見当もつかないし、娘の学力が世間でどの程度のものかも全くわからない。ならばとばかりにお受験案内の本を一冊買ってきて、自宅から通える範囲の学校を割り出し、その中で偏差値の一番高い方から順に巡るようにしているに過ぎない。
お受験案内なる本を手に取るのは何年ぶりだろう。東京近辺の私立中学だけで分厚い電話帳くらいの厚さがある。なかなかの情報量だ。各校合格者の偏差値だけでなく、中高一貫校については卒業生の大学進路まで記載されている。ご丁寧に注釈がついていて、偏差値は合格可能性の尺度であって、学校の序列を表すものではないとある。表面上はそうだろう。でも子供の将来を心配する親にとってはそうではない。偏差値は学校の序列だし、過去の卒業生の行く末は、そのまま我が子の行く末でもある。そう信じ込んで我が子の尻を盲目的に叩くようになると、不幸の始まりだし、親の才能を見ればしょせんは限界があろうというものだ。特に中学受験は子供自身の意思が反映される余地はあまりない。ここは親の冷静さも試されているのだろう。