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ある時はコンピュータの製品企画担当者、またある時は?

英語の耳

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大学を卒業するまで満足に英会話なるものを習ったことがない。なのに無謀にも外資系の会社に入社するものだから、必修科目にハンディキャップを背負い込むことになってしまった。かろうじてサバイバル・イングリッシュ・レベルをクリアできたので、運良く長期海外出張に出る機会を得ることができたのだが、留学経験のある人間とのヒアリングの力の差は歴然としてあった。外人が何気にちょろっと話した内容を、なかなか聞き取ることができない。

最初にアメリカで住んだ町サンノゼで、ファースト・フードの店で注文をする際に、どうしても聞き取れないフレーズがあった。状況からしてこう言っておけば無難に済むだろうと、力無く「イエス」と答えてその場を逃れていたのだけれど、僕と同じような語学力の友人に、「ザビャア?」とは一体何と言っているのかと聞いてみても、謎は解けない。店員に聞き返すと大抵別の言い回しが返ってくるので、やり取りを無事に終えることはできても、謎は深まるばかりであった。「何て言ったの?」と聞いてみたいのはやまやまではあったが、馬鹿にしていると思われたくなかったし、そもそも多忙な店員が東洋人のわけのわからない興味にお付き合いしてくれるとも限らない。またやさしそうな店員が「ザビャア?」とのたまう保証もない。

何ヶ月も謎はそのまま解決される事なく気持ち悪い宙ぶらりんの状態にあったが、チャンスは偶然にやって来た。とあるハンバーガー屋でやさしそうな店員が「ザビャア?」である。運良く紙とボールペンも持っているし、僕と同程度の語学力の友人もいるので、何かあってもカバーし合うことができる。思わず「来た~!」という感じであった。チャンスである。彼女に対して、英語の学習のために教えて欲しいとお願いし、ペンと紙を出して書いてもらったのは、今でも忘れない「Will that be all?」であった。なるほどこれなら「ザビャア?」に聞こえる。長い間の謎が解けた瞬間であった。ファースト・フードのカウンター前で、思わず2人して顔を見合わせながらガッツポーズをとる変な東洋人を、彼女は怪訝な様子で眺めていた。

その後長い年月を経て再度アメリカに長期出張した際には、娘を現地の保育園に通わせた。目的の一つは英語のヒアリング力を身に付けてもらうことである。単語だとか文法だとかは忘れてしまうだろうけれども、ヒアリング力の向上は年若いことが物を言うはずだ。「ザビャア?」ごときで一喜一憂するようであって欲しくない、というわけだ。

日本語もおぼつかないところへ英語を聞くものだから、時々発する単語が両者入り混じってしまったり、音が不正確になってしまったりするのは仕方がない。と思いきや、意外に正確に音を聞き分けていたようだ。当時の娘の発音をあえてカタカナ表記すると、黒は「ブダック」、緑は「グウィーン」であった。聞いたとおりに発音すると「L」と「R」ってこうなるらしい。カタカナだと何に近いか、などと邪念を抱いては駄目なのだろうが、僕のこの年になってしまうと到底できそうもない。状況判断と推理で何とかヒアリング力を補っていかなければならないんだろうな。

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