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ある時はコンピュータの製品企画担当者、またある時は?

ニッポンの歴史

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NHKの大河ドラマはここのところ欠かさず見るようにしている。昨年の山内一豊の出世物語も面白かったし、山本勘助の活躍も毎週楽しみにしている。スケジュールが会わない時でも、ビデオに録画して後で見る。何故見るのかというと、最も単純な答えは面白いから、もう少し突っ込んだ答えをするならば、昔歴史の授業が嫌いだったのでそのやり直しをしたくなったから、ということになる。

数学なんかよりも日本史の方が得意だった、という人は周囲に少なからずいる。僕はこの逆で、物事を記憶することがあまり好きではなかった、と言うか、単なる事象の連続には関心は無かったのである。むしろ記憶するべき事柄はごくわずかで、あとは理屈をこねまわしていればよい算数の方が好きであった。歴史の授業とはつまるところ、何年に、ナントカという人物が中心になって、カントカという事件が勃発した、という事の連続をただひたすらに記憶していくことだと感じていた。年号はなかなか覚えられないので、怪しげな語呂合わせを多用した。どこかのテレビで見たことがあるが、「鎌倉幕府が始まったのは(『良い国作ろう鎌倉幕府』だから)4192年!」と答えた芸能人がいたそうである。これなんか僕にはなかなか笑えない。

ドラマや歴史小説に描かれているのは、登場人物達の野望だったり、エゴだったり、保身のために汲々とする姿だったりしていて、大変にわかりやすい。アイツが出世するから何とか足をすくってやろうとか、露骨にやると人に嫌われるからこっそりやろうとか、そういうダイナミズムがあることを今更ながらに感じられるようになった。脈絡のない事象などとは、とんでもない誤解であった。

それにしても何故歴史の授業ってああもつまらなかったのだろう。よく考えてみると、歴史的事件の因果関係をきちんと納得できるように説明を受けたような記憶がない。日本史の教科書をいくら紐解いても、ダイナミズムとか人物の息吹とかはそぎ落とされていて、表層的事象しか述べられていなかったような気がする。そこまで突っ込んでいる時間的余裕がなかったのかもしれないし、授業で僕が居眠りをしていて聞き漏らしていたのかもしれない。いずれにせよ教師の力量だけに責を負わせるわけにもいくまい。

では、歴史を逆に説明するのはどうだろう。現代社会を概観し、何故今の姿になったのかを説き、さらにそうなった背景を遡ってゆく、という具合にである。これならば歴史的因果関係を明らかにせざるを得ない。最初に現代から太古にまでごく簡単に触れてゆき、それからおもむろに従来のようにじっくりとUターンしてくるのである。そうすればもう少しすんなりとそれぞれの歴史的事実が頭に入ってくるのではないだろうか。そして現代が成り立っている所以も理解できるのではあるまいか。そういう授業をやってくれていれば、もっと歴史が好きになっていたかもしれないのに。それにしても記憶することを強制されず、テストの点数を気にしないでも済む日本史は、結構楽しい。


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