【書評】Twitter本としての『サイバービア』
『サイバービア』読了。デジタルコミュニケーションループは過多でスピードが速く、そのループ自体に捕らわれているという指摘は、インターネットはクズだかいう批判より鋭く根源的だと思う。あえて究極のTwitter本としてオススメしたい。
大ヒット中、という訳ではないのですが、最近紹介されているのを見かけることが多かった『サイバービア ~電脳郊外が“あなた”を変える』。仕事が忙しく、1ヶ月近くかけてようやく読了しました。非常に面白い本だったので書評を、と思ったのですが、残念ながら冒頭の bradex さんのコメントを超える文章を書く自信がありません。ということでお時間の無い方は、これ以上読み進めなくても大丈夫です(笑)
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さて、ここを読まれているということは駄文にお付き合いいただける方のはずですから、そのつもりで安心して書きますね。
最近のソーシャルメディア、特にそこに参加している人々の行動力学に興味のある方々にとって、『サイバービア』は必読の一冊です。とはいえ本書は特定のサービスを取り上げたり、操作法や活用法を考えるものではありません。冒頭で「究極のTwitter本」として紹介されていますが、文中で Twitter が言及されるのは数カ所のみ。Facebook や Google などといった存在はもう少し頻繁に言及されますが、入門編的な解説をしてもらうことは期待しない方が良いでしょう。
しかし『サイバービア』を Twitter 本として捉える意見に、僕は100%同意します。なぜ Twitter にハマる人が多いのか。コミュニケーションの速さが加速しつつあるのか。時に大きなうねりのような動きが起きるのか。こうした疑問に対して、本書はより大きな文脈の中で考えるヒントを与えてくれるはずです。
詳しくはぜひ本書をお読みいただきたいのですが、端的に言えば、ソーシャルメディアに参加する人々の多くは「サイバービア」に囚われていると著者のジェイムス・ハーキンは説きます。サイバービアの定義は難しいのですが、「サイバー」と「サバービア(郊外)」を組み合わせた造語で、「インターネットユーザー達が(まるで郊外の住人達のように)並列の立場でゆるいつながりを保ち、相互に情報のフィードバックを行っているような状態」であると個人的には理解しました。著者自身の言葉ではこう説明されています:
多くの人がもはやコンピューター画面で凝ったウェブサイトを眺めながらときどき友人にメールを送るだけの生活では飽きたらず、自分たちと同じような普通の人々が集い、管理している巨大なオンライン情報ループ――イーベイ、グーグル、フェイスブック、セカンドライフ、ユーチューブなどのサイトが代表的――でかなりの時間を過ごすようになったからだ。そうして、人々は自らの意思で人間ノードとなり、巨大な電子情報ループの中で情報をやり取りしている。少なくともわたしたちがそこで時間を過ごしている間は、気づけばそのように振る舞っているのだ。
わたしはこの場所をサイバービアと呼ぶ。本書で紹介するサイバービアとは、わたしたちが長時間にわたって電子情報につながれているとたどり着く場所で、オンライン・ソーシャル・ネットワークはその最も顕著な例にすぎない。
こうしたフィードバックのループ、「電子情報ループ」は必ずしも悪いものではありません。例えば災害時などに、政府などによるトップダウン型の救済だけに頼るのではなく、現場の人々が自律的な救済活動を行う場合にはこうしたループが欠かせないでしょう。しかしフィードバック・ループが正しい情報だけを強化したり、あるいは思慮深い行動を促したり、良い目的のためだけに使われるとは限りません:
オンラインの仲間を信頼すれば、よこしまな考えや邪悪な動機を持つ人々に左右されやすくなる。情報をあちこちに配信するために人々が利用する電子的な結びつきは、噂やデマをまき散らすことも多い。メッセージに素早く対応し、受け取るそばから情報ベルトコンベヤーに転送するサイバネティックス的習慣のおかげでトラブルに巻き込まれる恐れもある。本来ピアツーピアというアーキテクチャは戦後アメリカ社会でヒッピーが体制順応主義を糾弾する心の叫びから生まれたものだったが、まさにサイバービアのこうした構造のせいで、人々はオンラインの仲間の意見に順応されやすくなっている。当局の目を逃れるためのアイデアが、いまや人々の心の奥底にある想いまでをもコンピューター・サーバーに保管させている。情報を受け取るそばから行動に移すようになると、落ち着いて物事が考えられなくなる恐れがある。情報ループの言いなりになっていると、電子的な情報交換を中止しにくくなり、いつまでも邪魔されることになる。電子村を闊歩するのに役立つはずの地図を使ってもあまり遠くへは行けず、道に迷うことも多い。マーシャル・マクルーハンの言う「課せられたパターンへの反発」が強まり、ありもしないパターンまで思い描くことも多い。おまけに実社会の組織がサイバービアの構造をまねたりその住人に取り入ったりしようとしても、往々にして最後はうまくいかなくなり、呆然とすることになる。
世の中にあふれている情報に対して、肯定的な感情だけを抱くなどということはあり得ません。怒りや、許せないなどといった反応を示すのは人間ならば当然でしょう。しかしこれまでは、その反応が即座にフィードバックされ、情報がループするという状況は限られていました。相手がテレビや新聞の場合には、フィードバックする手段すらありません(長い時間と手間暇をかけるのなら別ですが)。ところがソーシャルメディアの時代には、フィードバックをリアルタイムで、しかも大勢の人々に対して返すことが可能になりました。リアルタイムで返される「怒り」のフィードバックが、増幅され、様々な人々を巻き込んで拡大する――もはやネットでは珍しくなくなった光景です。
炎上が起きると、とかく「ネット住民は性格が悪い」のように、個人に責任を帰するような議論が生まれがちです。また「匿名なのが悪い」のように、サービスの仕様が攻撃される場合も多いですよね。しかしオンライン状態にある人間は、フィードバックループという構造によって行動が規定される傾向があるのだということを、本書は明らかにしてくれます。こうした視点を持つことで、ゴシップ的なネット批判にとどまらない、本質的な議論を深めることができるのではないでしょうか。また個人にとっても、Twitter を始めとした最新のソーシャルメディアとどう付き合っていくか、ということを改めて考える一冊になると思います。
余談ですが、最近出版される Twitter 本には、Twitter が「世界を変える」「ビジネスからメディアまで変える」など、「~を変える」というタイトルが付けられているものがいくつかあります(僕が翻訳させていただいた"Twitter Power"も、邦題は『「ツイッター」でビジネスが変わる!』ですし)。しかし最も「変わる」のは、それを使う人間自身なのかもしれません。
【○年前の今日の記事】
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