危険な安全
前回の話から続きますが、先日第1回会合が行われたICTビジョン懇談会(総務省)の議題の中に、「ネット社会における消費者主権の確立」という項目がありました:
ネット社会における消費者主権の確立
- 消費者(特に高齢者)にとって使い勝手のよい機器・サービスの必要性
- ネット上の社会経済活動の比重の高まりに対応した新たな「消費者主権」確立のための社会ルールの必要性
*消費者保護のための情報提供システム、事後の救済システムなどの検討
*ネット利用面での「安心・安全」「信頼性」「堅牢性」などを実現するための環境整備の在り方の検討 等
上記の部分だけだと文脈が伝わりませんが、簡単にまとめると「日本はICTインフラは整ったが、その利活用が進んでおらず、その一因として消費者がネットに不安を感じていることが挙げられる――だから消費者が安心・安全を感じるような環境を整備しましょう(そのために何をすれば良いと思いますか?)」というようなお題が与えられているわけですね。実はこの項目に対して、複数の構成員の方々から
「絶対に安全」という状況を目指すことが、果たして良いことなのか?
という疑問が投げかけられていました。確かに「安心・安全」というのは大切な価値であり、事件や事故を防ぐような工夫をしていかなければなりません。しかし「こんにゃくゼリー販売中止」のケースや、ケータイフィルタリングのケース、さらには「産婦人科医での帝王切開失敗」のケースを思い出して下さい――「危なそうなものは全て糾弾・排除する」という姿勢を原理主義的に追求してしまうと、別の弊害が現れてはしまわないでしょうか?また「危なそうなものは排除」という姿勢は、本当に安心・安全につながるのでしょうか?
ちょっと分野は違いますが、先日もご紹介した本『となりの車線はなぜスイスイ進むのか?――交通の科学 』の中に、ロータリー式交差点の話が登場します。日本ではあまり多くありませんが、これは道路が円状(ロータリー)になっている交差点で、信号は付いていません。交差点にさしかかるクルマは既にロータリー内を移動しているクルマに注意しながら、そろそろと円を回り始めることになります。一見すると、これでは通常の交差点よりも危険なように感じますが、実際はその逆だそうです:
通常の交差点をロータリーに転換した24箇所を調べたさる調査によると、事故は40%近く、傷害をともなう人身事故は76%、そして人身事故は約90%も減った。
ここには、パラドックスがある。人が危険そうだと怖がるロータリーの方が、実際には、信号つき交差点よりも安全であることだ。
まさに逆説的ですが、ドライバーに「この道は危険だ、注意して運転しよう」という意識を強いることによって、ロータリー式交差点はむしろ安全な場所になっているわけですね。同書はこの状況を、簡潔な文章でまとめています:
危険を自覚させてくれる仕組みは、むしろ安全なシステムだと言える。
残念なことですが、事故や事件をゼロにすることが可能なケースはほとんどありません。危なそうなものを遠ざけるという姿勢では、かえって人々はリスクを軽視したり、無視したりするようになるでしょう。重ねて言いますが、事件や事故が起きても良いというわけではなく、それを最小限に抑える工夫が続けられなければならないと思います。しかし「お上が守ってやるから安心しろ」的なアプローチが追求されたり、安心・安全の実現によって失われるものが無視されることのないよう、議論を進めて欲しいと願います。
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余談ですが、弾さんも仰っている通り、『となりの車線はなぜスイスイ進むのか 』はかなり面白い一冊です(445ページもあるけど)。交通問題をテーマにしながら、実はネットコミュニティからモラルハザードまで、社会生活の様々な局面を考えることができる本。クルマを運転する人、だけでなく、まさしく「道に出る人」なら誰でも楽しめると思いますよ。