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『隣人祭り』という処方箋

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『隣人祭り』を読むクマ隣人祭り』を読了。この言葉、先日NHKの番組で紹介されていて初めて知ったのですが、1999年にフランス・パリで始まった社会活動だそうです。社会活動と言っても堅苦しいものではなく、「地域に住む隣人達が、食事をしながら語り合う」というパーティーのようなイベントとのこと。たったそれだけの活動なのですが、現代社会で失われた隣人とのつながりを取り戻すものとして、現在では世界中に拡大・参加者750万人を超えるイベントに成長しているのだとか。

本書はその提唱者、アタナーズ・ペリファンさんによる解説(第1章~第6章)と、日本における「隣人祭り」の発起人である南谷桂子さんによる解説(第7章・第8章)の2部構成になっています。ペリファンさんの文章は、隣人祭りの意義を訴えることに中心が置かれているので、ムーブメントとしての「隣人祭り」の全体像を俯瞰するには南谷さんの解説の方が詳しいかもしれません。いずれにしても、お二方の文章を読むことで「なぜいま『隣人祭り』というイベントが世界に広まりつつあるのか?」を理解することができます。

隣人祭りのユニークな点は、例えば「ホームレスに食べものを提供しよう」「お年寄りを介護しよう」といった具体的な奉仕活動は提案していないところにあります。最近はミュージシャンを呼ぶような大がかりなイベントも行われているそうですが、基本的には冒頭で書いた通り「隣人を集め、食事をしながら語り合う」というだけのもの。しかしそんな小さな交流が、不安や偏見から断絶していた隣人同士が繋がるきっかけとなり、やがて様々な協力関係へと発展していく様が描かれています。ペリファンさん自身、隣人祭りだけで全てが解決するわけではないと明言されているのですが、このイベントは「解決策をつくる」というより「解決策の土台となる人々のつながりを築く」ためのものと言えるでしょう。

それを示す文章として、少し長いのですが本書の一節を引用しておきたいと思います:

引っ越してきて、アパートの住民を呼んでパーティーを開いた時、もう少し社会に弾力をもたせれば、相互の繋がりを深められるんじゃないかと思った。隣人に対してのイライラを警察への通報以外の方法でも解決できるんじゃないかとも思っていた。

そして、この高齢者の孤独死――。アパートの壁の向こう側には、見えない苦悩が隠されている。ドンドンとドアをノックして、それを解法するのだ。孤独老人、自閉症者、絶望した失業者……。みんなを外に連れ出さなければ――。

それで世界を変えようなんて、そんな野心など毛頭もない。でも、何か行動を起こせば、みんなで動けば、何かが始まるんじゃないだろうか。

そんな僕の直感について、社会学者のロベール・ロシュフォールは、こんな解釈をしてくれた。

「個人主義は、30年かけて作られてきた人間の欲求の結果だ。その間、多くの社会規範や他人との関係はシャット・アウトされていた。しかし、ここ10年ほど前から、人は行き過ぎた個人主義に気付きはじめ、もう一度、その個人主義を破壊して、新たに社会との接点を模索しようとしている。カーニバルとかフェスタといった人が集まることが歓迎されているのは、そんな欲求の表れでもある」

実は最近、『貧乏人の逆襲!』という本も読んだのですが(Polar Bear Blog での書評)、『隣人祭り』と同じ方向性を持っているように感じました。『貧乏人の逆襲!』が少々過激な方法で現状を打破することを訴えているのに対し、『隣人祭り』はもっと穏やかな方法で社会を改善していこうとしています。しかし両者に共通しているのは、他人とのつながりを重視し、それを再構築しようとしている点。方法は異なれど、様々な形で「断絶された人々の交流」を取り戻そうとする動きが高まってることは注目に値するのではないでしょうか。

いまの社会や生活に不安を感じている方は、『隣人祭り』と『貧乏人の逆襲!』を読まれることをお勧めします。どちらの中にかは分かりませんが、これから何をすべきかという行動のヒントが見つかるはず。『隣人祭り』はゆっくり体質改善する漢方薬で、『貧乏人の逆襲!』はショック療法の劇薬といったところですが、どちらも閉塞感を打ち破る処方箋となってくれるに違いないと感じた次第です。

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