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決して最先端ではない、けれど日常生活で人びとの役に立っているIT技術を探していきます。

「さあどうぞ。僕の書いた文章、自由に使って下さい」

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コメント投稿機能が付いたWEB型RSSリーダー"Shyftr"の登場をきっかけに、海外のブログ界でちょっとした論争が起きています。Polar Bear Blog でも紹介記事を書いたのですが、簡単にどんな流れかまとめると:

  • WEB型RSSリーダー"Shyftr"が発表される。コメント投稿機能があり、他の Shyftr ユーザーとコメントの共有が可能。しかし元記事へのコメント反映機能はなく、Shyftr 上の「元記事+コメント」というコンテンツは、元記事とは完全に分離された形で存在することに(全文フィードを配信しているブログであれば、元記事にアクセスする必要もない)。
  • これに対し、一部のブロガーから「コンテンツ盗用だ」「自分の記事に対するコメントが分散し、チェックしづらくなるのは勘弁して欲しい」などの批判が出る。
  • 一方、「コンテンツはブロガーの手を離れた時点で、コントロール不可能になるものだ」などの擁護意見も。
  • 結局 Shyftr が騒動を起こしたことを謝罪し、全文フィードであっても記事タイトル・著者・投稿日しか表示しないように仕様を変更。

という感じ。詳細については以下の記事で上手くまとめられているので、興味のある方は一度目を通してみて下さい:

Content Is Becoming a Commodity (ReadWriteWeb)

「コンテンツはコモディティになった」とはよく言われることですが、果たしてブロガーはそれを受け入れる準備はできているのか?と疑問を投げかけています(確かに今回の騒動を見ていると、「普段は『音楽や映像は無料であるべき!』とか言ってる人たちは、こういう時には声を上げないの?」という気分になりそう)。

All that's left to decide is where you stand. Should information (even yours!) be free? Is your motto "steal my content, please?" Or will you fight this disruption and try to cling to the old model like the RIAA and MPAA did? Or maybe you think there is still some middle ground to be had.

(コンテンツがコモディティ化するのは自明のこととして)残された問題は、あなたがどういう立場を取るのかということだ。情報は(あなたが発信するものであっても!)フリーであるべきか?「どうぞ私のコンテンツを盗んで下さい」をあなたのモットーにできるか?逆にそれには反対して、RIAAやMPAAのような古いモデルを守ろうとするのか?それとも、両者の中間地点があるはずだと考えるだろうか。

最後にこんな一文が書かれているのですが、確かにブロガーは情報利用者ではなく発信者の立場で、この問題を考えていかなければならないと思います。

僕自身の考えは、「PVや広告・アフィリエイト収入が減って嬉しいはずがないというのが正直な気持ちだけれど、『僕が書いた/作った』ということが明示されているのであれば、コンテンツの再利用は厭わない」といったところでしょうか。「僕が書いた文章を完全にコピペして、他のブログの1エントリとして公開する」というケースでない限り(これを実際に何度かやられたことがあります。スパムブログ以外でも)、例えば前述の Shyftr のようなサービスが人気を博し、僕のブログには訪問する人がいないのに Shyftr 上では(僕の書いた記事に対して)コメントが盛り上がるといった状況には反対しないでしょう。それはウェブ上のコンテンツはお金という報酬だけでなく、ウェブ上/実社会上での存在感という報酬をももたらしてくれる存在だと捉えているからだと思います。

感覚論ですが、僕と同じような態度でブログ等を更新している方は少なくないのではないでしょうか。「コンテンツのコモディティ化」によってお金以外の報酬にどんな影響がでるかは分かりませんが、少なくともそれが守られるような仕組みがあるのであれば、Shyftr 型のサービスにコンテンツを「盗まれて」もいい、という意見を持つ人は増えていくのではないかと思います。もちろん上記のように「中間地点」を探る試みも続けていく価値があると思いますが。

Comment(2)

コメント

以前とあるQ&Aサイト上で話題にしたことがあるのですが、私自身のスタンスは「使ってもらうのは自由」「私の書いたものであることも明示は不要」「でも逆に私がまねをしたと訴えるのはやめてね」というものでした。

同じものがあった場合に、どちらがオリジナルなのか。私は自分がオリジナルであることにこだわらないのですが、他人から「自分がオリジナルなのにお前は真似している」といわれたらたまらないなぁと考えています。

音楽もそうですが、真似されてアレンジされるというのは、それだけ価値(コンテンツとしてのパワー)があるってことなのだと思います。

アキヒト

ProjectK さん、コメントありがとうございます。

なるほど、確かにそう考えると「この記事は僕が書いたものだと明示してくんないと嫌だ」というのもある意味おこがましいのかもしれませんね。「マネしてるのはお前だ」などと間違った言いがかりをつけられることさえ防げれば、それでも良いのかもしれません。

> 音楽もそうですが、真似されてアレンジされるというのは、それだけ価値(コンテンツとしてのパワー)があるってことなのだと思います。

まさしく、マネされるということは、オリジナル(というより「コピー元」と書いた方が適切でしょうか)に力があるということですよね。単なるコピーは劣化しかしない、ということを考えれば、マネされただけで騒ぎ立てる必要もないのかも。

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