臭いで「みる」世界
先週末、映画『パフューム』を観てきました。世界的ベストセラーが原作とのことですが、恥ずかしながら映画化されて初めてこの作品を知ったので、予備知識ゼロでの鑑賞。そのせいか話の展開に度肝を抜かれ、ラストに拍子抜けしつつも、全体としては楽しめたといったところでしょうか。少なくとも映画館に足を運ぶ価値はあった、と感じています。
(以下、若干映画の内容に踏み込みますのでご注意下さい。)
実はストーリーとは別に、印象に残った点がありました。それは映画から感じられる「臭い」。『パフューム』の主人公は超人的な嗅覚を持つ男で、臭いで何でも理解してしまうという設定になっています。例えばネズミの死体を切り裂かなくても、中で腐敗が始まり蛆虫がわいていることを感じたり、遠くの池でカエルがタマゴを産み付けているのを感じたり、果ては背後から投げつけられた果物を臭いで察知して避けたり(!)するほど。なので話の中に度々「臭い」が登場するのですが、目に見えないはずの「臭い」が存在しているかのように表現されていて(※注:別にCG等でおかしなものが書き込まれているわけではありません)、腐ったものなどが出てくると思わず顔をしかめてしまいます。
その結果、観客は主人公と同じように「嗅覚で世界をみる」という体験をすることとなり、主人公の超能力が疑問に感じられなくなります。例えば「臭いを頼りに人の後を追う」という行動を取っても「あぁ、そこに『臭い』が残っているんだから当然だろ」みたいな。先日「目に見えるものが世界のすべてだと誤解していないか」という内容のエントリを書きましたが、この映画がまさにそれで、「異なる感覚を使えば世界はまったく違ったものになる」ということを実感しました。
もちろんそれが映画のテーマではないのですが、「臭覚じゃなくて聴覚が優れた人はどんな世界を感じているんだろう」「味覚が優れている人(料理人?)はどうなんだろう」という気にさせられます。さらには『パフューム』の映画スタッフに、優れた経営者が「みている」世界を映像化して見せて欲しい……などと考えてしまったのですが、自伝などがその役割を果たしているのかもしれませんね。