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元証券アナリスト、前プロダクトマネージャー、既婚な現経営者が、日頃の思いをつづります。

南イタリア旅行記7: ポンペイの遺跡で迷いまくる

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Circumvesvianaというナポリとソレントを結ぶローカル線のほぼ中間に、その名もPompei Scaviという駅がある。その駅を降りるとすぐにポンペイ遺跡の入り口。今回の旅行のメインイベントは、やはりこの遺跡を訪ねることだった。

入場料は大人一人11ユーロ。オフシーズンだったので、開場時間は8:30 - 17:00。入り口でオーディオ案内を借りられる。一人分6.5ユーロ、二人分だと10ユーロと、一人当たりの値段がちょっと安くなる。案内は英語があるが、あいにく日本語はない。

ポンペイのオフィシャルサイトはあるけれど、イタリア語のみ。

オーディオ案内を借りると、遺跡の地図もくれる。オーディオ案内機は、各場所にある番号を入力するとそこの説明が流れるという形式のやつ。地図を左手に、カメラを右手に、そしてオーディオ案内機を首からぶら下げて、さて入り口をくぐっていく。

ベスビオス火山の噴火で埋没した西暦79当時は人口2万人程度だったというポンペイの町。発掘されたのはすべてではなくその3分の2だけだそうだが、それでも広い。碁盤の目のように整然とした石畳の道を歩いていると、いつの間にか2000年の年月を忘れてしまいそう。道に迷いまくり。

白い石のタイルのカウンターに、丸い穴がいくつかあいている。ここは、暖かい食べ物を売るフードコートのようなところだったとか。そんな店先を何軒か目にする。当時使われていたつぼなど、おびただしい数の発掘物が、遺跡の一角に納められている。石膏で固めた、被災者の方の遺体もところどころに置かれている。

ルピナーレとか呼ばれる娼館も残っている。これがためにローマ時代は堕落していたという人がいるけれど、本当かしら。だとしたら、何千年後かに後世の人たちが東京を発掘して、吉原や歌舞伎町を見つけて、何というのだろう。結局、2000年前の人たちと私たちの暮らしは、さほど変っていないのだと実感する。

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フードコートのようなカウンターが残る店先

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発掘されたつぼや、石膏で固められた被災者の遺体

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ルピナーレの壁画。

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