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元証券アナリスト、前プロダクトマネージャー、既婚な現経営者が、日頃の思いをつづります。

国宝級の吉備大臣入唐絵巻がなぜボストン美術館にあるのだろう?という謎を解いてくれるサイトを見つけました

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方波見さんに習い、今日の記事はタイトルがとても長くなった...

一時的にお里帰りしている吉備大臣入唐絵巻を、奈良まで見に行こうという計画を立てていることは先日触れた。ところで、とても貴重なもののようなのに、なぜ日本ではなくでボストンにあるのだろう?と不思議に思った。

いろいろググッているうちに、朝田純一さんの「埃まみれの書棚から」というページを見つけた。そのページからの抜粋。

...有名な「吉備大臣入唐絵詞購入事件」の詳しい、いきさつも記されている。

 この絵巻物は、大正12年若狭酒井家売立てに出され、古美術商戸田弥七が十八万八千九百円で、手張りで落札する。春日光長筆、世に知られた国宝級平安絵巻物の大名品であったが、その年関東大震災がおこり、美術品どころではなくなってしまう。
 誰も買い手が無く持ち越していたものを、ボストン美術館の富田幸次郎(昭和6年から東洋部長)が、大正13年に日本にきた際、これを購入する。
 日本にあるはずのこの絵巻が、ボストンにあることが知られるのが昭和8年。
 国内ではマスコミも大騒ぎになり、富田は、当時の美術界の重鎮、滝精一から《国賊呼ばわり》されたという。
 急遽「重要美術品等ノ保存ニ関スル法律」が成立。重要美術品として認定された美術品の輸出には許可を要することとなった。
 現在でも、「重要美術品」と冠せられたものが存するのは、この時の産物である。

 「日本では誰も買わない。早く安住の地を見つけてやらなければ、あれだけの名品に気の毒だ。そう思って引き取った途端に、けしからんと国賊呼ばわりされた。」
 と、富田はその後長く口惜しがったという。

日本では誰も買わないどころか、廃仏毀釈が発令され、欧化思想が席巻した明治初期には、なんと日本政府が鎌倉の大仏を外国に売却しようとしたこともあったらしい。朝田さんのこちらのページに載っている。

祖国から遠く海を隔てたところにあっても、紆余曲折を経て、長い風雪に耐えてきたこと自体、この絵巻物に敬意を表するに値すると実感した次第。また、国籍を問わず、保存に尽力した人たちに対し、感謝の念をいだく次第。

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