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元証券アナリスト、前プロダクトマネージャー、既婚な現経営者が、日頃の思いをつづります。

終戦というできごと

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日本はすでに16日だが、こちらはまだ15日の夜なので、ご容赦を。

1945年8月15日正午の玉音放送によって、日本国民は日本の敗戦を知ったと聞いている。「…耐え難きを絶え、忍び難き…」 の箇所はよくテレビでも流されるが、放送の全部がインターネットで聴けるかと思ってサーチしてみたら、思ったとおり、ありました。ここです。

国民が謹んで詔勅を聴き、多くの人が涙した。が大きな暴動もなく、この日を境に戦争は終わったことを一億人の人々が受け入れた。当時の日本の終戦と、現在のイラクの状況を対比してみる。2003年5月1日には米国が戦闘終結宣言をしたが、この日に戦争は終わったと思っているイラク国民は果たしているのだろうか?

あの日天皇以外に誰が一億人もの国民を言葉だけで従わせることができただろうか?終戦というできごとだけでも、日本が長い歴史の中で天皇制を保ってきた意義がありはしないだろうか?天皇のリーダーシップについて、終戦を迎えるたびに考えさせられるのです。

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