情報共有の質向上に必要な「気づき」と「思考」とは? 

 今回、「データ」「情報」「知識」「知恵」の4つの分類をさらに掘り下げます。 

コミュニケーション・ギャップを埋めていくための情報共有のレベルを考えてみましょう。営業チームや開発チームで、「データ共有」の段階から、「情報共有」へ、そして「知識共有」のレベルへ、最後に「知恵の共有」へと次第に高度のレベルへチームの情報共有の質を高めていくことは、その生産性が上がることになります。成熟度が上がると言ってもさしつかえないと言えます 

 広報では、自社のメッセージと社外のマスコミとの情報共有や情報提供を目指して、報道資料の配布や会見、記者勉強会などを行います。社内でも、経営方針の社内徹底のために、社内報での特集企画や勉強会、さらには泊まり込の研修会などが開かれます。

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図版 共有単純4段階ピラミッド 

 あなたがチームリーダーだとして、メンバーが皆同じように意識が高く、時間的にも余裕があり、能力的にも高いレベルがあったとして、データから知恵の共有まで共有レベルを引き上げていくことは、平坦な道程でしょうか? 

ちょっと想像してみてください。 

データを共有するのは、ある意味たやすいことです。 

しかし、情報として理解するのは、データを共有すれば誰でも自動的にという訳にはいきません。 

具体的に説明しましょう。 

 私がかつてサラリーマンだった時のことですが、私の下に4人の課長がいました。当然のことながら、同じような情報を持っています。そこへ、ある事象の変化を4人へ提示した際の反応の仕方についてです。反応の仕方は、大雑把に言えばこうです。A課長は、これは問題だと思いますよ。社外への説明を変更せざるをえない・・・・・・・。B課長は、それはどう言うこと?と質問します。C課長は、こう来ると思ってこんな試案を考えてみたんですが・・・・・・。D課長は、それは問題なんですか?と四者四様でした。4人の課長は、ある意味同じデータを見て、意味付け・解釈の仕方が大いに異なってしまったのです。わたしが、これはこういうことだよなと言うと、そりゃそうだとなりました。この場合、価値観の違いではなく、ごく常識的なレベルでの判断に差があったのです。この程度のバラツキは普通起こることと言えばそれまでです。 

それでは、この4人の中での差はなんだったのでしょうか。 

 それは、「気づき」有無もしくは、その仕方です 

この「気づき」というのは、なかなか厄介なものです。 

部下に「これはどうしたんだ?」と質問した際に、「気づきませんでした」と返答されては、どうしようもありません。今度から「気づくように!」と指示するわけにもいかないでしょう。 

では、こういう場合われわれはどうしたらいいのかというと、「気づき」のバラツキを共有するためにミーティングを利用することです。そしてもう一つの方法は、「コーチング」です。マネージャーがメンバーの「気づき」を誘発・誘導することです 

 また、マスコミや記者さんへ報道資料やレクチャーをしても、狙い通りに書いてくれることは多くありません。ましてや、言われたとおりに記事原稿を書く記者などいません。気づいていただくしかないのです。 

これはこういうことだよと他人に言われたとおりに理解するというのは本人にとっての価値は相当に低いと言わざるを得ません。自分で気づいたという認識は、本人にとって極めて価値の高いもので、その後の行動を自ら大いに加速することになります。 

に、情報レベルから「知識の共有」へとステップアップするにも、「気づき」が重要です。 

今後も活用できそうな情報だとなれば、一過性の情報にはない価値がありそうだと気づく必要があります。そして、知識としてまとめておくとか、他人と共有しておくことにも価値を見出すことになります。「気づき」のなせる業です。 

今まで起こってきたこと、今まさに自身の目の前にあること、起こっていることは、すべてこの「気づき」の対象範囲になっています。しかし、未来は「気づき」の対象範囲ではありません。 

 未来を対象にするのが知識の次の「知恵」です。 

知識から知恵へとは、その間にあるものは「気づき」ではありません。それは、「思考」です。 

「思考」とは、知識をもって推論することだと俗に言いますが、どうやって推論するものか、もう少し丁寧に説明しましょう。私は、「獲得した知識・情報を利用して、課題を設定し、解決のための仮説設定をし、推論を行い、検証してみる」、という一連の作業を繰り返すのが「知恵を導きだす思考」だと定義しています。

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図版 気づきと思考入り7段階ピラミッド 

 今までの話の流れを振り返っておきましょう。私たちは、正確性をかなり担保された情報に基づいて判断を繰り返しながら生活を送り、仕事をこなしています。つまり信頼性の高い社会や企業などの組織で暮らしを営んでいるわけです。これを、ピラミッドに置き換えて、いや当てはめて今一度考えてみましょう。

 会社であれば、営業データは社員に公開されていなければ、売り上げが伸びているのか下がっているのか、営業本部が発表する数字だけではどこまで本当か分かりません。A営業所がトップだと言うけど、本当なのか?なんていうことも起こりかねません。これが「データ共有」です。企業が決算資料を公開するのも、これにあたります。 

売り上げが苦しい中でも、B営業所での○○○製品の売り上げ大幅アップという事例が、他営業所でも適応するのではないか。少なくともやってみる価値はあるのではないか。これは「気づき」に基づいた「情報共有」です。マスコミが企業に取材し、ビジネスの見透しや経営者の考えを記事化するのもこれです。 

そして、情報共有」で成果が出たら、営業所ごとの成長品目は、他営業所でもリアルタイムにおすすめ商品として販促していくという横展開してみるというノウハウの確立が、「知識共有」です。また、一企業の活動を超えて、業界全体、社会に影響のある話題を記事化していくのも「知識共有」です。

 最後に、「知恵の共有」ですが、そう言えば営業マンのバラツキは変わっていないねと気づくことが「課題設定」、営業マン個々のバラツキ修正に応用できそうだというのが「仮説設定」、そしてシミュレーションが推論で、ある営業所でトライしてみることが「検証」という作業になるわけです。これらを全社で導入していけば、「知恵の共有」ということになるわけです。これを社会全体もしくは国全体という規模で考えれば、新聞報道で社会が情報共有した事案を、その場限りにせず、継続的に社会に定着させようとするなら、必要に応じて法改正を行って新たな行動規範にしていくことなります。これが社会的知恵の共有ということになります。

 次回は、「データ」「情報」「知識」「知恵」の4つの分類に対応する、人の内面の「感情」についてです。

参考文献:『「過情報」の整理学 上野佳恵著 中公選書  20121月発行

Patina

情報共有の“情報”を一羽ひとからげにしてませんか? 

 今回は、コミュニケーション・ギャップの唯一の解決策であるといわれる「情報共有」について掘り下げます。 

まず言っておかなければなりません。情報共有は口で言うほど簡単じゃありません、一筋縄ではいきません!侮るなかれ!です 

 情報共有という言葉は、組織で働く人なら、しばしばというより耳タコでしょう。かく言うわたしもしょっちゅう聞いてきたし口走っていました。 

しかし、なかなか情報共有」は上手くいかないのです。 

なかなか上手くいかないものだと考えるようになったのは、30年くらい前で係長になった頃でした。その前は、情報共有を要求された場合は、その気になっていただけでした。分かったと思い込んでいただけといってもいいかもしれません。一方、人に要求した場合は、なんて理解の浅い奴だとか話をよく聞いてないのではとよく思っていました。自分においても他人においても、「分かった」と「分かったつもり」を判別することは、ほとんど不可能です。実は、この世には、「分かったつもり」しか存在しないかのようです。 

 とにかく結論は、情報共有とはなかなかできないものだ!ということです。 

簡単に「おい、みんなで情報共有しておいてくれ!」などと部下に軽く指示を与えるような上司は人間理解力、人間力に問題があるということも、先に申し上げました。自分の反省の上に立って考えても、全くその通りです 

 特に、情報が命とも言うべき仕事に就いた広報に携わる人にとっては、情報をブレークダウンして考えることが必要です。 

データ・情報・知識・知恵 

 情報共有という際の「情報」とはなんなのか?掘り下げてみます。多くの人は「情報」という単語を、あいまいな定義のもと、つまりいい加減に使用していないでしょうか? 

私は、「情報」を四つに分けて考えています。 

「データ」、「情報」、「知識」、「知恵」です。 よく見る分類ですね。

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私なりの定義は以下の通りです。 

 まず、「データ」とは、価値のあるなし意味のあるなし係わらず自分自身で体験し記録に残せる事実(FACT)すべてです。1次情報と呼んでいます。数値などの定性データばかりでなく、非定性データのメモランダム、発言内容、レターなども含みます。記録に残せる5WHすべてで、評価・加工される前段階のものです。他人の集めたものは、1.5次情報とも言います。 

 次に、「情報」とは1次情報や1.5次情報を受けて、情報の受け手によって分析され意味づけられ、評価されて解釈されたものを言います。2次情報と呼んでいます。往々にして、断片情報であることが多いのですが、次の行動に進むためのラスト・ピース情報として扱われます。集計、統計、時系列、前年対比データなどのように意味付けされたデータ群をさします。また、報告書、発言録、議事録、指示書なども含みます。さらには、背景情報、周辺情報などといわれるチョット漠としたものもあります 

なお、3次情報と呼ぶものがありますが、これは伝聞情報や引用情報のことをさします。 

 さらに、「知識ですが、特定の目的に則して、評価・加工され継続して価値あるものと意味づけされた情報の体系のことです。例えば、評価手法、分析手法、手順(マニアル)、トレンド、方針、ガイドライン、ルールだとかがこれにあたります。また、歴史的経緯情報やノウハウ、ノウフ-(Know‐Who)などは重要な情報です。これらは、知識情報ともいいます。  

 最後に、「知恵」ですが、課題・問題解決力またはその方策のことです。それは、価値観、課題設定力、判断能力、決断力、予見力、危険察知力、 不測事態への対応力などがこれに相当するのではないでしょうか。これはもはや、知識とはいえず、知識の活用力と言った方がいいものです。 

 

 先にあげた上司がいう「情報共有」は、データの共有なのか、情報の共有なのか、知識の共有なのか、それとも知恵レベルの共有を要求しているのか、それが問題だということです。また、世の多くの上司たちは部下たちがてんでバラバラに受けっとっている可能性にも無頓着です。 

判断基準を持ち計算づく指示を出しているケースは極めてまれでしょう。少なくとも私がお目にかかったことはほとんどなく、35年間のサラリーマン生活で数度しかありません。 

このように、共有すべき「情報」を四つにしっかり分けて考えることが、「情報共有」の質を高めていくために重要です。 

次回は、この4つの分類をさらに掘り下げてみます。 

Patina


 前回、情報社会は不特定の誰かが必要とする情報は、いつでもどこでも入手できるようにしておく、つまりオープンにしておく必要があると前述しました。個人や組織が何か判断しようとする際に、絶対的に必要なものは「情報」です。また、全ての「情報」獲得の権利は、基本的人権にかかわるものであり、生存権であり、幸福を追求する権利なのだとも言いました。それを実現するにはどうしたらいいでしょうか?  

情報社会の情報取り扱い理念  

  そもそも、「情報」は、「共有財産」なのではないでしょうか。一人で完全に自己完結する他人にとって全く無縁で孤独な「情報」なんてあるのでしょうか?そ の「共有」の範囲は、家族における場合に始まり、地域のコミュニティ、学校、企業、自治体、国家、社会、グローバルな経済・金融活動など様々ですが、社会 的に共有することで「情報」は意味を持ち価値を発揮するものです。  

  この「共有財産」という概念は、企業や各種団体でも行政や政治の世界でも等しくあてはまる大原則です。個人が握りしめて棺桶まで持っていくべき情報などで はないハズです。組織やコミュニティは何がしかの社会的存在価値を持っており、その関与者(ステークホルダー)に対して、情報を開示、つまり共有していく 義務が存在すると考えるのが自然です。企業は取引先や顧客、株主に、行政は県民や住民に、政府とその機関は国民に、場合によっては国益上必要なら外国政府 にも情報を提供し共有するのです。    

  この公共財である「情報」にも独占禁止法が適用されるべきではないでしょうか?公有情報隠匿・隠蔽罪なるものでしょうか?共有情報私的独占罪でしょうか。 インサイダー取引の禁止のように情報の囲い込み悪用を防ぐには、誰でも知っている状態にしてしまうのが、もっとも効果的です。情報にアクセスする権利や機 会においては平等だということです。つまり、みんなが得をする、フェアな情報環境だということです。  

 情報の存在そのものや誰がその情報を保持しているのか、分からない状態でアンフェアな行いが起こるのです。人の心に正義を期待するのはいいのですが、プラトンの著書国家にある羊飼いのギュゲスの指環の喩え話にあるように、往々にして立場ある人の心は、誘惑に負けてアンフェアな行いをしてしまいます。  

  何度も繰り返しますが、何でもかんでも情報公開・開示すればいいというものではありません。企業や公的団体では公開によって経済的損失や著しく不利益を生 じさせてしまうような、さらには公共の概念に反して一部の利益になるような、そして国益に反するような情報は、きちんと管理されなければいけないのは当然 です。また、プライベートで私的な個人情報は、公共に反しないことを条件に堅く保護されなければならないのはいうまでもありません。  

 これらの考え方があてはまらない例外は、○○組などの反社会的団体だけだと考えられます。彼らは、その存在をアブノーマルな方法で告知・誇示することはあっても、広くその活動内容を多くの人たちに知ら占めることはあり得ません。存在を脅かされることになるからです。ちなみに、ネットで検索してみましたが、もちろん公式ホームページはありませんでした。  

逆にプライバシーも含め無理やりにでも、情報開示に準ずる扱いをして、普通の人々が不利益を被らないようにすることも必要ではないでしょうか。  

情報共有の三原則  

 前置きが長くなりましたが、社会的存在価値のある組織・団体や個人に適応される、情報三原則なるものを考えてみました。  

企 業に身を置く広報パーソンも、政府の広報担当者も、すべからく広報として活動することを考えると、このような原則が下地にあればプレス活動でもブランド構 築にあたっても、極めてスムーズな行動を可能にすることがお分かりいただけると思います。その上、対外活動ばかりでもなく、組織内広報活動においても日 ろからこのような原則を追求していれば、「社内ベクトル合わせ」「広聴」「社内一体化」「方針徹底」など多く課題解決にメリットを感じるでしょう。 

1.どんな組織も生データや一次情報へのアクセスを内外に開放し、情報の信頼性を確保せよ 

組織の活動履歴である生データや一次情報を常時開示しておき、ガラス張りにすることで情報と組織の信頼性を担保します。これにより、不特定多数の自発的な理解と関与が高まり、組織や社会運営の質的向上や効率やスピード向上が期待できます。企業であれば社員自身が会社を理解するに不可欠の情報アクセス環境を提供することになります。一方、政治や行政の世界であれば、一次情報(生データ)を共有して、社会的課題や政策課題を自分の問題として考えるチャンスが与えられ、参加しているという 実感を得やすくすることになるのです。 

2.組織や社会は、あまねく情報の共有で横溢せよ  

組織や社会の目指しているところや価値観などは可能なかぎり共有すべきだし、社会では多くの人が持つべき知識を「常識(コモンセンス)」と呼んでいます。いずれにせよ、多くの人が活動するところには、すべからく共有すべき情報があるということで共通しています。逆の言い方をすると、共有するべき情報があるからこそ社会と言えるということです。 

3.個人が自由に情報発信できるコミュニケーション環境を構築維持させよ  

個人が社会や組織内に向けて、規律を持ちつつ自由に情報やメッセージを発信できる、コミュニケーション環境を有形無形インフラとして構築し維持する必要があります。組織や社会はその存在価値を維持していくためには、修正や改善が欠かせないというパラドックスがあります。社会情勢や国際情勢などの環境が変化すれば、その中の一部にすぎない組織や社会が変なkしなければならないのは当然といえば、当然なんです。  

健全な社会に住み続け、同じく健全な企業や団体に勤め続けたいのなら、そして少しでも社会を発展させたいと考えるなら、少人数の活動でも大企業でも、行 政、国政レベルでもあてはまる、これらの普遍性ある原則の徹底を追求して「オープンな情報共有社会」を目指さなければならないのです。実現できるかどうかは別問題です。それでも追求しなければならないことです。  

参考図書:国家(上)プラトン著 岩波文庫 

次回は、コミュニケーション・ギャップの唯一の解決策であるといわれる「情報共有」について掘り下げます。

Patina

情報社会がもたらすもの 

 この情報社会の最大のメリットは、実社会つまりビジネスや政治・行政のスピードアップです。情報集めも早くでき、意思決定も早く行え、顧客や住民へのリアクションも早くなり、投資の回収も短縮され、再投資も早くなり、つまりはすべてにおいて生産性が高まることなのです。豊かになるということと同じでもあります。勝負が明白なものでは先手必勝の鍵でもあります。この先手必勝自家薬籠中のものにした者が、ビジネスの世界でも、選挙でも、政治や行政の世界でも、学問、研究開発の世界でも、成功を収めることができるのです。

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理性-真偽・善悪・美醜を識別する能力 

判断-基準に準拠してるか否かを判別する能力 

理解-概念や論理等の意味を解釈する能力

 一方、個人の役割はどうでしょうか。図にある通り、情報社会では、「ワーカー」も「中間マネジメント」も「トップ」も同様に、「理解力」、「判断力」、「理性」を要求されることになりました。大勢の人が、これを歓迎しました。なぜなら、ワーカーレベルの人でも情報も与えられることにより経営に参加しているという実感を少なからず得られるからです。かつて、周りで何が起こっているかもわからず「決められた通りにやればいい」とされていたのですから、その気持ちはとても理解できます。「とにかく決められた通りにやればいい」ではやる気は出ません。しかも、個人個人の自発性が生かされるということにもなりますから、非常に人間的です。 

もちろん、情報社会の組織でも権限と責任という役割分担はあります。ワーカーと中間管理職、トップを含む幹部との間にある本質的な違いは、情報を先に知ることではないのです。与えられた範囲での理解力の深さや広さ、背景情報への理解度、加えて幹部には組織や企業の壁を越えた視野の広さ、そして真摯さ、責任感、忍耐力、世界観、そして歴史感覚などにもとづく質の高い思考力です。 

 しかし、幹部と同じように情報を与えられているということは、言い訳のできない立場にもなったということです。かつて、組織由来の不祥事やイリーガルな問題が発生したとき、管理者や幹部が責任を負うもので、担当者が訴追されることはありませんでした。判断もせず組織への責任もない者が司直の手にかかることは常識的に考えられませんでした。会社や組織のための脱法行為は、会社が組織ぐるみで守ったのです。でも、今は違います。たとえ上司から圧力がかかってのことでも、会社に良かれという担当者の判断でも、個人の良心と正義にもとづいて行動しろというのが、情報社会の求めるものとなったのです。命令されたことなので責任はありませんと、言い逃れすることはできません。これは、日本に限らず全世界を取り巻く時代の要請です。かつてのような上司が部下を守る時代は終わったのです。 

 1989年にベルリンの壁が崩壊し共産社会が消え去った後、「民主主義の原理」は世界を覆いつくし、世界標準となった感があります。この民主主義の原理とは、統治者と被統治者が同一であるということにあります。つまり、自分のことは自分で管理していくという考え方です。加えて、「自由主義の原理」である、個人は本来いかなる制約も受けないが、まさしく神の見えざる手によって自然に調和していくという考え方が大きく取り入れられてきたのです。誰も強制しない代わりに、誰かが守ってくれるという社会でもないという訳です。自分と自分の仲間で守らなければならないということです。だからこそ、社会保障におけるセーフティ・ネットの再構築がかまびすしく叫ばれるわけです。 

 このパラダイムシフトをうまく手なずけるか否かは、日本の企業や政治、行政、つまりは社会運営そのものにとって実に重要な課題です。いまの日本において企業や組織という個別社会としても社会全体としても、うまくこのパラダイムシフトに適応できている状況とは言い難いのは衆目の一致するところです。 

わたしたちの最大の課題 

 最大の課題は、日本の政治・行政、産業界、アカデミズム、教育界などが、パラダイムシフトの真の意味、つまり個々人の価値観まで改変を余儀なくされているとの社会的常識、つまり共通認識がないことです。それに向けた努力の形跡もありません。各論については山ほど議論されていますが、本質論については大きな議論になっていません。日本丸のかじ取りを委ねられた政治の責任と社会の価値観改善を託された教育の責任は、ともに大きいといわざるを得ません。 

多くの人々がこの問題を自ら考え判断して生活を送っていく際にもっとも重要なものの一つに、「誰かが必要とする情報は、誰でもいつでもどこでも入手できるようにしておく」必要があるということです。いつどこで誰がどんな「情報」を必要とするかわからない社会ですから、全ての情報は公開が基本原則であって、基本的人権であり、生存権であり、幸福を追求する権利なのだと言っても少しも言い過ぎではないはずです。 

もちろん、このような複雑な社会ですので、公開できないごくわずかの情報はもちろんありますので、非公開だと特定された情報は多くの人がその存在を心得ておかなければなりません。将来に向けた情報公開規定もルール化される必要があります。 

このように、企業だろうと政府だろうと例外なく、多くの窓と広い間口のインフラを用意してそれらの情報を常時オープンにしておくだけで、組織効率においても社会的にも多くの無駄や無理やムラが省けます。 

 今この日本の現実社会では、自己の帰属する組織や担当業務に立脚した、自律自存の言えば聞こえのいい実はタコつぼ的個別最適型PRやコミュニケーションをメインとする広報活動に流されがちです。今一度、視野を大きく広げビジネス環境や社会全体とのかかわりの中で、企業でもアカデミックでも政府や行政においても、全体最適という価値観に基づく社会全体の情報流通生産性の向上という視点で、個々の広報活動のオープン性や透明性を見直す必要があるのではないでしょうか。 

参考文献:

 世界を不幸にしたグローバリズムの正体ジョセフ・E・スティグリッツ著 徳間書店 20025月発行 

 資本主義はなぜ自壊したのか中谷巌著 集英社インターナショナル 200812月発行 

Patina

 広報を考えるにあたって、広報パーソンの持つべき価値観ついて考えてみましょう。

そのために、「社会構造のパラダイムシフト」を再確認します。そして私たち日本人はそのさなかにいることを認識しなければなりません。人によっては、もみくちゃにされ、いやというほど骨身にしみている人もいるに違いありません。そうでなくても、多くの人がその不安な流れを感じとっていると考えられます。この社会を構成する全員の問題でもあります。 

そんな中、広報に携わるものとして、外部環境の変化にどう対応していくかが課題となるわけですから、多分に自己(個人や組織)をどう理解し、つまり価値観を整理し、行動をどう規定していくかがキーポイントになります。 

パラダイムシフトに乗り遅れた日本社会 

 1995年頃から日本の社会構造が急激に変化しつつあります。ひとことでいうと、「社会構造のパラダイムシフト」が起こりました。そう、過去形です。そして、現在進行形でもあります。その結果、社会を構成する私たちに求められる役割が変わってきています。20世紀初頭のフォード自動車の組立てオートメーション化から始まった「産業社会」が、「情報(インターネット)社会」へと切り替わりました。価値観の劇的な変化が巻き起こり、個人の若い人から始まって、この15年の間に多く人の生活が一変しました。社会の転がるスピードが劇的に高速化したのです。しかも、社会への係わり方も単機能固定型分担から多機能流動的参加へと変化しています。しかしながら、日本社会全体が根本的に変わったかというと、そうではありません。企業や官庁などさまざまな組織は個人ほど身軽にできてはいないですし、社会の広範囲でルールを急に変更すると、信頼関係に基づいたビジネスや取引、事務が成り立たなくなるからです。日本におけるその変化のスピードは他の先進国や中国、韓国に比べ随分と遅いのが実情です。ここに日本社会の問題点と悩みがあります。それはどういうことかと言うと、日本だけがその恩恵にあずかっていなのです。2000年以降9年間の各国の国内総生産(GDP)平均伸び率をみてみると、米国4.08%、フランス8.06%、ドイツ6.47%、英国4.39%で、日本は0.63%です。ダントツです。ちなみに中国17.41%、インド11.77%、韓国7.18%、ロシア26.25%となっています。12800万人の生活に関して、こと経済成長率でみる限り、完全に日本の一人負けです。 

[出所] (財)国際貿易投資研究所 「国際比較統計データベース」http://www.iti.or.jp/ 

[原資料]IMFInternational Financial Statistics (IFS) 20104月号)

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理性-真偽・善悪・美醜を識別する能力 

判断-基準に準拠してるか否かを判別する能力 

理解-概念や論理等の意味を解釈する能力

産業社会の構造 

 旧来の産業社会の組織は、一般的にヒエラルキー(階層)構造があって、多くの「ワーカー」と少数の「中間管理職」とごくわずかの「トップマネジメント」がいます。平たく言うと明確な縦方向の役割分担があります。圧倒的多数の企業はもちろんのこと、行政組織も職員、管理職、トップと同様の形をとってきました。「ワーカー」は決められた通りにやる人。「中間マネジメント」は決められた通りに進行しているのか判断する人。「トップ」は、本来何をするべきか?や、何がやっていいことかどうかなどを理性的に決断していく人。ということになります。もちろん、トップは理解力も判断力も人並み外れて優れていてくれなければ社員や職員は泣きを見ますよね。中間管理職もワーカーもそこは自分たちが神輿のようにかつがなければならないボスなので相互信頼を前提にしてお任せしてきました。20世紀のほとんどの間、このスタイルでやってきました。ずいぶんと長続きしたものです。 

情報(インターネット)社会の構造 

 ところが、インターネットが出現すると、「トップ」は従来「中間マネジメント」に伝えていたことを、ダイレクトに末端まで瞬時に伝えることができるようになって情報伝達スピードが猛烈に速くなりました。俗にいう「フラットな組織」の出現です。かつて、役員会で決まったことは翌週の部長会で報告され、さらに翌週の課長会で説明され、そして翌週になってようやく一般社員に指示されるということが、当たり前の時代がありました。 

今日では、全社員や全構成員が知らなければならないことは、その日にEメールやイントラサイトで全員が知ることができます。私のいた会社では、数千人以上の社員に向け、部長以上の幹部会の模様を全世界の10万人以上の社員に向けリアルタイムにネット放映していました。部長が東京出張から帰ってくるのを待つ必要などないのです。情報は管理職だろうと新入社員だろうと同様に与えられます。こういうフラットな情報環境が日本でも一部では実現しています。かつては、物理的技術的にできなかったに過ぎません。ちなみに、企業や官庁などの個別社会の枠を超えてフラットすると、それを「フラットな社会」と呼びます。従来の社会や企業や組織では、管理者や幹部は部下より早く情報を得られる立場からの権威がマネジメントの源泉でした。しかし、フラットな社会では社員も管理者幹部も同時に情報に接し、それぞれの役割分担に則した、付加価値のある分析やアイデア、施策を打ち出す能力によって相互評価される世界になったと言えるでしょう。こう考えれば、権威主義の色濃い政治や官僚の世界、企業のマネジメントスタイルが、人々から敬遠され、価値の低いものと扱われる、このご時世がなるほどと理解できます。20123月時点、今まさに国難とも言うべき震災後の状況下で、なぜ政府や権威が信頼されないか、分かろうというものです。

次回は、社会構造のパラダイムシフト(下)へ続きます。

Patina

広報広告は、似て非なるモノ 

 コミュニケーション活動には「広報」と「広告」という概念の異なる二大手法があります。明らかに全く違うものにもかかわらず、広報と広告宣伝は、多くの人が混同しています。なぜかと言えば、多くの人が同じような告知機能の一種と考えているからでしょう。 

さらに、分かりにくくしている要因に単語が色々あることもあります。例えば、広報/弘報、広告宣伝(アドバータイジング)、パブリック・リレーションズ(PR)、コーポレイト・コミュニケーションズ、パブリケーション(パブリ)、ペイド・パブリケーション(ペイドパブ)などの言葉を正確に説明できる人はそう多くはいません。ビジネスマンといえども、つまり消化不良のままごちゃごちゃに使っているのが現実で使い分けできていないのです。 

 こんな状況のもとで、記者やジャーナリストに「広報」や「広告・宣伝」だとか「パブリ」という言葉を漫然と使用すると彼らの思考を混乱させてしまいます。記者さんの頭の中は、「宣伝のお先棒かつぎかよ!ちぇっ」となって、百害あって一利なしとなってしまいます。特に「PR」という単語があいまいで混乱の元になっています。多くの場合、セールスプロモーションと同義語になっているのではないでしょうか 

 整理すると、「広報」や「パブリ」は、「客観情報」を伝える手法だと言えます。第三者の報道機関やジャーナリストにより、企業や役所が発信した情報を第三者の評価が入った、客観性を担保してくれる、つまりお墨付きの客観情報へと付加価値をつけてくれるわけです。 

その代わり、発信者のオリジナルの表現や情報量がそのままメディアの紙面に記事化反映されることはなく、メディアの考える社会的インパクトに応じた形式や露出量になることはいたしかたないことです。もちろん、無視されることも多々あります。 

 方や、広告宣伝やペイドパブは広告主の「主観情報」を発信するものです。あくまで、広告主の言い分や表現をそのまま掲載するので、正確ではありますが、客観的だとは理解されないでしょう。悪く言えば、話半分、眉つば、金任せとなりかねません。広告宣伝は広告主の社会的信頼と広告宣伝対象の個別(ブランド)が確立している時には、広告宣伝量に比例した効果を得られますが、そうでないときは無名企業や団体が大量の広告を流しても、訝しげられてもしょうがないのです。有名メーカーの新ブランドのテレビスポットが大量に投入されて、購買行動は喚起されるけれども、競合メーカーのロイヤルティが確立した製品の売り上げ増に寄与してしまうことがあります。私が、かつてあるマーケティング部で他社のテレビCM投入量情報を広告代理店から入手し、工業会の国内出荷統計との相関を調べた際には、M社の広告出稿はほとんどP社の出荷量の増加にリンクしていたという分析が出ました。怖いですね。なお、私はS社でした。きっと、当時M社では広告の効果は薄かったと社内報告され、誰も責任をとることは無かったと思われます。それに似たようなことが、現在、携帯電話のマーケティング・広告の世界でも起こっているように見えます。 

 

広報と宣伝の少し先にあるモノ=情報環境の偶有性デザイン 

 広報でも宣伝でもなく、もっと人の心に強く刻まれ、情報の意味が正しく伝わる方法というものがあります。それは、情報の受け手が「自分自身で気づく」ことです。 

自分自身で気づいてもらうことを主眼に広報と宣伝がそのスタイルを変えていってはどうでしょうか?将来的には、情報の受け手自身で気づいてもらうための情報提供を考えなければなりません。 

「偶有性」という言葉があります。なじみのない言葉ですが、偶然的と言ってもいいかもしれません。教えられたり読んでおくようにと言われた「必然性ある情報」というのは、本人にとって価値が低いものです。押しつけられた知識は押し付けられたという反発ゆえか、大脳皮質の深くまで到達しません。一方、セレンディピティともいうべきたまたま知り得た情報や複数の人から聞いた話を統合して気づいた自分だけの「偶有性ある情報」は、自分で気づいたという責任感ゆえか、心の奥までしっかり入り込みます。知識情報と認識情報といっていいかもしれません。 

 「偶有性のデザイン」を平たくいうと、判断してもうための情報は可能な限りオープンな状態にしておき、その情報を開示していることをメリハリつけながら情報発信していく。情報の利用者へのサポートと信頼性の獲得に発信側のパワーをそそぎ、複数の点情報や線情報をもって自分自身で姿かたちを作り出しその意味に気づいていただく、という情報環境のデザインがこれからの広報や広告宣伝に必要な新機能なのではないでしょうか。 

 ここまで来ると、広報も広告宣伝も社会的存在価値は同じとなってしまうということになります。 

 

次回は、広報活動の社会環境の変遷について書きます。 

 

参考文献:ブランドは広告ではつくれないアル・ライズ、ローラ・ライズ共著 翔泳社 20032月発行 

 「脳」整理法茂木健一郎著 ちくま新書 20059月発行

Patina

広報のミッションとは? 

 広報って何すんのと問われたら、「広報は、コミュニケーション・ギャップをあまねくマネージする」と私は答えてきました。広報の仕事は、このフレーズに尽きます 

 「あまねく」とは何だというと、すべてにわたってということです。 

企業広報であれば、各種メディア、取引先、顧客、地域社会、社員、株主、行政、つまりステークホルダーと事業活動の、行政広報であれば市民住民に至るまでのコミュニケーション全般にわたって目配り気配りをしなければならないということです。つまり責任範囲ということです。新聞社から問い合わせを受けたら、その領域分野は広報の対象外ですなどとは口が裂けても言えないのです 

また、「マネージする」とはどういう意味かというと、まず広報に与えられたリソースで「ギャップの解消」に向けてあの手この手でもってなんとかするということになります。解消に向けた、情報発信、情報開示、透明性確保など最大限の活動を継続していくことです。 

しかし、ここで肝に銘じておかなければならないことがあります。全てのコミュニケーション・ギャップを「解消」するのではないのです。 分不相応の人・モノ・金を投入しても、いかんとも埋めようのない「ギャップ」は多々存在します。この種の「ギャップの存在」を認識し続け監視下に置いておくことが重要です。事故や社員の不祥事、天災天変地異など想定外かどうか微妙な出来事をきっかけに、炎上やら信用失墜やあらぬ風評被害に巻き込まれないとも限りません。これらのリスクが、組織の存在意義やトップの運営能力への疑問符に発展させないような、コミュニケーション活動を平生マスコミやステークホルダーとの間に、加えて組織内で継続しなければならないのです 

広報とは、体のいい予算ゼロの「販促」ではない 

この疑問符への発展を阻止するコミュニケーション活動を、「コミュニケーションリスク・マネジメント」といいます。ここに、広報機能がリスク&危機管理と一体不可分の関係にあることがお分かりいただけると思います。企業や組織の最大のリスク・危機は、実態はどうであれ社会の一員としてふさわしくないと烙印を押される可能性をゼロにすることはできないということです。実態がどうであれというのは、理不尽のようですが、思い込みやイメージで一方的に企業や組織の未来は決め付けられてしまうことさえあり得るのです。これらに不用意に反応すると、顧客が離れ、取引先が横を向き、金融機関が火の子を被りたくないと判断した瞬間に企業や組織の命運は尽きるのです。そして、メディアが引導を渡そうとするのです。 

このような認識を持たない広報とは、体のいい予算ゼロの「販促」に他ならないと断言できます 

広報はプロフェッショナルの仕事 

 私たちは皆、毎日さまざまな事を見聞し、また読んだりすることで、「へ~、ーなんだ」とか、「なるほど!」とか、時には「そんなワケないだろ!」とか新たな情報に遭遇、もしくは浴びながら暮らしています。しかし、必ずしも必要な情報が必要な時に十分に得られているとはいえません。知らぬが仏とばかりに、知らなくてもなんとかなるもんだと、実に太っ腹な時もあります。しかし、他人がまだ知らないような新しい話を聞くと、「ねえねえ!知ってる?」と、つい人に話して情報ギャップを埋めてあげたくなるのは、古今東西人の世の常です。メディアはこの人の性を頼りとした文明発展と社会改善のための情報産業です。 

 広報は、このような人間の習性を理解しながら、特定もしくは不特定多数の人間を対象に、メディアを通して、ときに自ら直接にギャップを埋めるため情報発信します。その際は情報の受け手の心の中でどう刻まれていくのかをイメージしながら、情報やメッセージの内容およびフロー(経路)をデザインし施行実施するのがプロフェッショナルの仕事です。 

 

 ずいぶんと話が拡がってしまいましたが、企業や行政の広報という領域で約20年間やってきた経験から、私にはどうしてもこのように答えざるを得ませんでした。 

 

次回は、広報と広告について押さえておきます。 

Patina

コミュニケーション・ギャップは必然 

 ミュニケーション・ギャップはなぜ起こるのでしょうか。単純かつ乱暴に言えば、情報を持っている人はそれを必要としている他人の事情に無頓着だということです。一方、情報を必要とする人は誰がその情報を持っているのか、そもそもその情報の有無と過不足を含め十分には知らない。これが、ことの本質です。伝える立場には情報が豊富にありよく理解しているのだけれども、情報の受け手は情報量も少なく理解も浅いという状態を、「情報の非対称性」といいます。これは容易に解消することはできないのです。教室における教授と学生しかり、金融商品の売り手と買い手しかりです。 

また、次のように言うこともできます。情報伝達もニュートン力学に規定されているかのように、「慣性の法則」が当てはまり、誰かが握っている情報やデータファイルに埋没した情報は、なにもしなければじっとそのまま動きません。情報を必要としている方が、その情報の存在と保持者を知っていなければ、情報の発信を要求することはできない「パラドックス」がそこにはあるということです。これは、情報が握りつぶされているといった状況です。一方、悪い情報は動き出したら止まらない。広まって欲しくない話に限って、「悪事千里を走る」なんていう言葉が昔からあります。 

 人間は特別に訓練養成されなければ、個別最適のままであって全体最適の視点を持ちにくいという問題を抱えています。さらには、必ずしも全体最適が常に善かというと、そうとも言えないということです。二刀流出なくちゃいけないんです。 

 

またそもそも、発信者から受け手に余すところなく正確に情報を手渡せるかという問題もあります。発信者がその意図を持っていたとしてもです。さらには、たとえ情報を正確無比に手渡せても、同じ「認識」になるかというとそれを安易に期待するには無理があります。同じ価値観、同様の経験、同じ問題意識でありながら、それぞれの与えられた立場によって、同じ情報から異なった意味づけがなされることはよく目にすることです。 

組織の中で、情報共有が声高に叫ばれても、なかなか実現できないということはご存じのとおりです。 

 

つまり、なにもしなければコミュニケーション・ギャップは必ずある、一見無いと見えてもあると断定判断すべきだということです。いやむしろ、原理的に無くすことはできないし、だからこそ必死になって潰していかなければいけないのです。しかし、潰しきれなければ別のアプローチが必要となります。 

したがって、情報発信のプロである広報は、上手く情報を伝えようと思ったら、深い人間理解をベースに、コミュニケーションの工夫や心理学の勉強、情報共有の仕組みインフラ作りなどに相当の努力が必要なのです。 

あたかも、安易に情報ギャップや認識ギャップが埋まるかのごとき指示やオーダーを発するマネージャーや管理者は、人間理解力が低いと言わざるを得ないのです。 

 

日本人特有のコミュニケーション・ギャップ 

 日本人社会は世界一の「ハイコンテキスト社会」です。それゆえに、コミュニケーション・ギャップが生まれやすいと言えます。日本、中国、アラブ諸国、ギリシャ、イギリス、フランス、アメリカ、北欧諸国、ドイツ、ドイツ系スイスという順番でハイコンテキスト社会からローコンテキスト社会なのそうです。

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参照文献:「Beyond CultureEdward T. Hallより 

それは、飛鳥時代からの「短歌」や「あうんの呼吸」、「すり合わせエンジニアリング」などの日本人の長所の裏返しとも言えるものです。 

 日本人同士が会話する際は話の背景を同じように理解しているつもりで話しますから、言葉で事細かに言いません。「みなまで言うな!オレは勘がいい方なんだぞ!」みたいな会話はよく聞かれます。ここに齟齬ができると「空気が読めない(KY)」という宣言がなされたりもします。 

 こんな例があります。ある三人の男性の会話です。「Aさんの少し(お金)持ってる?」という問いに、「ほぼ同時に、Bさんは千円と応え、Cさんは3万円と言った」といいます。これは何か違うのでしょうか? これは、「少し」という言葉を、つまりAさんが財布を忘れてランチ代を貸して欲しいのか、はたまたよんどころない要件でまとまったお金を貸して欲しいのかと、BさんCさん両人が回収リスクも勘案しながら忖度することで、コミュニケーションを成立させたのです。 

常に相手の置かれた状況を考えながら会話をする習慣が、日本人にはあるのです。日本人以外ではなかなかこうはいきません。 

加えて、昨今日本人の価値観の多様性や海外とのビジネスが当たり前になってきて、相手の立場や背景を忖度しながらのコミュニケーションにほころびがしばしば見られるようになりました。こうなると、日本人のコミュニケーションの長所が、一転して勘違いや思い違いの多いコミュニケーションになりかねないのです。 

 また、こんな話があります。 

日本人の内輪では、ある局面で話が実に素早くまとまるかと思えば、時としていつまでたっても話がまとまらないことが我々の行動様式としてあります。この時、日本人は背景情報のすり合わせを延々とやっているのですから、時間がかかるのは当然です。それを日本人は無自覚にやっているので、他人に理由を説明することができません。日本人以外には文化人類学者の日本研究者でもない限り、理解されることもありません。 

 はたまた、こんな話もあるそうです。 

私は膝を打って自分も含めて全くその通りだと感じました。それは、中国の留学生の話として、「日本人の友人できて仲良くなるにつれて、だんだんと会話が少なくなっていくのは不可解だ」というものです。日本人にとっては、お互い理解を深めていき、いちいち言わなくても分かっている状態というものは心地良いもので、決して悪いものではないのです。ところが、その中国の留学生が他の外国人とはこうした事を感じはしないそうです。外国人の人にとっては、友人とは仲良くなればなるほど言葉を交わす機会も量も増えるのが自然だということだと考えられます。私は外国人の友人とこうした経験はありませんが、思い当たるところが大いにあります。やはり日本人だけがちょっと違うということを理解しておくべきだと考えます。

では次回は、広報のミッションについてです。
 

Patina

 コミュニケーション・ギャップについて、まず確認しておきましょう。しかし、特別なことは何もありません。誰にでもどんな組織にも日常的に体験したり目にすることだからです。 

しかし、箇条書きのピラミッドにしてみました。五秒か十秒も見れば十分です。企業でも、役所でも、家庭内でも、日常茶飯事のことです。誰にでも心当たりがあります。

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 企業であれば、上司と部下、幹部と社長、会社とマスコミ・ジャーナリスト、会社と株主などで見受けられます。また、政治・行政の局面では、中央政府と国民、政治家とマスコミや有権者、役人とマスコミ、役所と市民などなど様々な場面でコミュニケーションが行われています。しかし、満足に行われているとは、とても言い難いでのではないでしょうか。まさに、コミュニケーション・ギャップだらけと言っていいでしょう 

情報ギャップと認識ギャップ 

 このコミュニケーション・ギャップは、大きく分けて情報ギャップと認識ギャップからなっています。時には情報ギャップだけ、もしくは認識ギャップですが、しばしば情報ギャップと認識ギャップがないまぜになると、少々ややこしくなります。 

 情報ギャップとは、簡単に言ってしまえば、必要もしくは欲しい情報やデータに過不足があることです。多すぎても、なにが肝心な話なのか分かりにくくなってしまうこともあります。ある意味、分かりやすいギャップです。 

 認識ギャップは、情報やデータが不足したりしているわけではないけれども、情報の出し手の意図と受け手の理解のされ方が異なってしまうことをいいます。分かりやすい例が、同時に複数の人間に同じ話をしても、受け取り方が異なることがありますというよりその方が多いくらいです。正確に同一の理解をしてもらうというのはなかなか難しいのではないでしょうか 

コミュニケーション・ギャップをないがしろにすると 

 個人間であろうと、個人と組織間、組織同士の間でも、少々コミュニケーション・ギャップがあっても、初めはささいな問題として認識されます。愛嬌で済む話ばかりです。今度からちゃんと伝えてねとか、メールしてねとかで済む話です。 

しかし、この状態が進行すると心の中に不安感が生じ、つまり信頼性の低いコミュニケーションとなり、齟齬が発生して不信感を、さらには猜疑心生み、しまいには「疑心暗鬼」に行き着きます。 

こうなると、個人としても組織であっても相手方をうとましい存在と感じ、相互不信となります。個人なら組織から排除されることにもなりかねません。企業などの組織は解散の憂き目にあわないとも限りません。 

国際社会での国と国との外交交渉でさえ、疑心暗鬼の果ては経済制裁や政体変更を求めての武力行使すらあり得るのです。 

 

 それでは、次回はなぜ、コミュニケーション・ギャップは生まれる?についてお話します。 

Patina

 ブログを再開します。お久しぶりです。さて、3年半の間、公務員に任用されたりで更新を凍結してきましたが、これまでの広報領域の知見をまとめてみます。 タイトルも一新して広報-コミュニケーション・ギャップとの総力戦としました。 

 この日本というちょっと独自の進化をした、世界一のハイコンテキスト(文脈)社会だからこその、コミュニケーション・ギャップを手繰り糸にプロフェッショナル広報をめぐるお話をしたいと思います。 

 

 わたしは20年にわたるグローバル企業での広報業務、IT企業でのコミュニケーションインフラのコンサル、さらには2年間を政治任用の公務員として広報とコミュニケーション関連の業務に、さらには情報共有系のインフラ構築と運営にも一時期5年間ほど携わってきました。  

 その一つの結論が、広報という仕事がこの日本社会で理解されている以上の価値と可能性があるではないか、広報機能を「社会技術」の一つとして、つまり一企業や組織の枠を超えて、社会をより住みやすくする、社会的課題を解決する一手段として理解したことでした。広報機能には、企業や組織広報の枠を超えた普遍的歴史的意義があります。この意義を多くの人で共有したい。そうすれば、多くの方々に広報という仕事の価値を再認識する機会を提供することで、わたしたちが住む社会で繰り広げられる、コミュニケーション・ギャップに起因するさまざまな課題をもっと上手に処理できるのではないのか。そして、多くの人たちがそれぞれの持ち場で広報という仕事を通じて、自らの成長に加えより健全な社会づくりにも役立つのではないかと思うに至りました。 

 ここでは、企業や行政、政府で広報活動に携わる方々、さらにはコミュニケーション、つまり情報や認識ギャップを埋める役割を担った方々を念頭に書き進めたいと思います。企業ばかりでなく社会に広く横溢するコミュニケーション・ギャップをどう扱っていったらよいのか、これを主題にします。 

 折角お読みいただく皆さんにとってオフィスでの広報業務のヒントとなり、ひいては広報というものの意味や価値を見直し 

組織や個別活動の枠にとらわれずに、大きな武器にしていただければと期待して、私の経験を元に、大いに脱線、寄り道しながら掘り下げていきます。その際に使っていくキーワードの一部をここで紹介させていただきます。「コミュニケーション」「ギャップ」「社会技術」「気概」「矜持」「疑心暗鬼」「情報」「リスク」「約束」「心理学」「信頼」「社会」「共有」「情報構造化」「広報基本所作」「記者」「マスコミ」「ジャーナリズム」「民主主義・自由主義・資本主義」「新聞」「弁証法」「ICT&ネット」などなどです。ワードによってはあっちこっちでお目にかかることになります。これでは説明になってないと感じられる方もいるかもしれませんが、まあ大体こんな内容についてお話ししようと思っています。 

 また、わたしが想定する広報領域は、次の通りです。企業においては製品や施策PR、イメージ管理、ブランディング、ソーシャルメディアの活用、リスク&危機管理広報、対内広報つまり社内や組織内コミュニケーションなど、経営や組織運営に欠かせないものです。また、市町村や都道府県における生活へ密着した行政サービスの広報活動や、政府や霞が関官庁の広報活動もあります。さらには、政党の広報活動もあれば、選挙広報というものもあります。はたまた、二国間外交ですら国際社会における広報活動がベースにあって、外交交渉が構築されています。つまりはあまねく全てということになります。このすべての領域にかかわる人はいるハズはないのですが、どのような分野でも通用する広報パーソンの教養としてお読みいただければ幸いです。 

 

それでは、数日間隔で書いていきますのでお付き合いください。 

Patina


プロフィール

奥田隆介

奥田隆介

只今、新たなコミュニケーション・フィールドに挑戦中!
広報・コミュニケーションと「モザイク」以来の知見をベースに、IT/Webによる新たな情報活用をライフワークとしている。

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