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J-SOXを奇貨とし、経営者は神輿から降りるチャンスに!

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■日本人の長所を生かして、競争力の高い企業組織マネジメント再構築を!

今、日本人の文化・価値観を踏まえた、そしてさらには国境を超えた企業間競争にあっても生産性の高い経営とマネジメントを追求するべきではないか?

前回のブログで触れた「僕決める人、君従う人」というマネジメントを、日本人の文化的社会的特徴(価値観)である、気づき・気を利かすという長所を殺してまで導入しては、元も子もなくなってしまう。しかし、この懸念は杞憂に終わるだろう。何故なら、日本人は土台無理なことは律儀に守らないというのが特徴である。会議室から出てきたとたんに、「つじつま合わせに数字だけは出そう。でないと事業部の存続にかかわる!」とか、「社長会長の前では兎に角、できますと言うもんなんだ!なんとか帳尻あわせしよう!」、「何とかしろと言われてもできないものはできないよなあ!(長嘆息)」。などという会話は日常茶飯事である。

それでは何が起こるかというと、われわれは異なる価値観のものを徹底して取り入れることはせず形式的に、つまり表面的に導入するだけだ。そして、しばらくすると元の木阿弥、何もなかったかのように、やり過ごしていく。はっきりいって、時間の無駄使いということになる。これが皆分かっているから、徹底して過去を振り返ることもせず、「水に流す」ということになる。

■「経営者や管理職は神輿(みこし)に乗車拒否を!」

そこで、日本版企業改革法(J-SOX)の導入を奇貨として、日本人の良いところを生かす経営・マネジメントの基本とはどのようなものだろうか考えたい?

私は、まず経営マネジメントが組織の神輿から降りることが第一歩だ。だいたい、神輿に乗っていると、ただ黙って乗っているだけか、ご無体なことを言うかのどちらかになりやすい。だいたい神輿に乗っていると、真下は見えないものだから実情に疎くなるのは当たり前だ。神輿から降りて、自分の足で会社の事業とともに歩けば、種々見えてくるのではないだろうか。そうなれば、報告書や部下の説明の半分位はいらなくなって仕事がはかどるのではないだろうか?部下の仕事も同様だ。

経営者が全責任を負うということは、企業内の末端に至るまでの業務に関与しなければならないということだろう。報告に頼っていては責任の負いようがない。そして、関与していく過程で、一担当者に至るまでの業務プロセスは適正なのか?その業務プロセスは、会社の狙いどおりに最適な運営がなされているのか?報告やレポートに事実誤認や判断ミス、場合によってはウソが混じっていないか?こうやって、エグゼクティブ・レポートでは見えないものが見えてくるのではないだろうか?そして、これができない、経営者をだますのは、さして難しくない。

■経営トップの最優先業務は全業務プロセスへの関与

経営者は全社最適の立場から、業務プロセスそのもののマネジメントを、真の仕事にする。つまり、神輿から降りて、全ての業務プロセスに亘って、一緒に歩き対話しながら一緒に考えていくことが企業の経営そのものになるわけだ。

そして、経営者は直下の役員や幹部にも、さらには中間管理職にも同様のマネジメントスタイルを要請し躾(しつけ)て習慣化する。こうして、経営者の経営マインドや管理職のマネジメントスタイルが玉突きされていって、末端まで浸透して一貫性のあるマネジメントが可能になる。常に、組織の上位者が下位の業務プロセスへ日常的に関与していく。社長は、役員と部長、部長と課長、課長と係長、係長と一般社員の間の業務プロセスを見聞し、役員は役員で、部長以下の各業務プロセスをウォッチし、部長は課長以下の各業務プロセスを管理監督するというように、重複して業務プロセスに関与していく。結果的に、製造や店頭などの先端業務は、全社あげて、つまり社長から担当者まで、寄ってたかって、鵜の目鷹の目で、見守り、見守られるという状態を社内に常態化させる。

その過程での問題発見や気づきは、その場ではなく職制を通じてフィードバックされていく。まさに傍目八目とはこのことだろう。さて、このような日本人の細やかな「気づき」や「工夫・アイデア」を社長以下全員が出し合う、「傍目八目経営」はいかがだろうか?

なお、偉いさんが気付いたままにその場で、飛び越し指揮命令することは、「ご法度」だし「厭味なスタンドプレー」だということ以上に、部下に考えさせて解決する機会を奪うことに他ならない。

また、最高トップの社長が、扇の要として唯一の「全社最適調整役」を果たせなければ、業務プロセスマネジメント機能は機能しない。社長が委嘱した業務改革担当の役員が機能しないという例はいくらでも転がっている。担当副社長二人が利益代表としての立場を譲らなければ、結局とどのつまり社長でなければ調整できないのは当然の帰結である。

経営者は音頭ではなく、関与しなければあらゆる事業活動や業務の真贋を判断することはできない。そして、このようなマネジメントが、日本版企業改革法(J-SOX)のような全社制度やシステムの施行や導入を、形式的なものに終わらせず真の稼働を追求することを可能にするのではないだろうか。私なりの結論である。 

結局、経営トップが仕事のやり様を変ることでしか、企業を変えることはできない。

いま述べてきたような思いをこの私がこのブログに書いただけでは、単なる犬の遠吠えに過ぎない。そこで、次のブログでは「神輿下車マネジメント」の実現に向けて旗を振れる人を、勝手ながら指名してみたい。

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