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ある時はコンピュータの製品企画担当者、またある時は?

されどカーナビの使い方

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我が家では妻も僕も車を運転する。初めての道路を走る際には、最新機種と比べれば大分機能的に見劣りがするけれども、装備してあるカーナビが重宝する。カーナビを使おうとすると時々戸惑うのがその設定である。常に自分が表示画面の中央下に進行方向上向きに固定されていて地図が動くのか、地図は必ず北を上にして固定されていて自分が動くのか、の違いである。ちなみに妻は前者、僕は後者を好む。だからたまに車を運転する際に、いちいちカーナビの設定を変更することになる。そうすると、地図を中心に設定した方がわかりやすいとか、自分を中心に据えるべきだということで、決着のつかない意見の対立が発生する。妻は僕を変人と言い、僕は妻に自己中心的と言ったりするのだが、要するに自分の位置や方角を、どのくらいの大きさの空間の中で意識する癖を持っているのかという違いによるものなのだろうか。

この意識の持ち方を変えるのは結構慣れが必要かもしれない。初めてアメリカに行って車を運転する時に戸惑ったのは、道路標識であった。日本式にやれば、「サンフランシスコ・右折」とでもしておけばよさそうなものを、「ルート101北上・右折」という具合である。当然の事ながら土地勘が全く働かないので、アメリカ全土の地図を思い浮かべて、その中でルート101がどう走っているのかを思い浮かべて、次に自分の位置とサンフランシスコを思い浮かべて、ようやく北上するべきか、南下するべきかが決まる。最初の頃はこのややこしい手順を踏まないと自分の進むべき方向がわからず、情けない事に看板を見て瞬時に判断ができないことが何度かあった。どうにかすると東西に走っている道路なのに、北に行くのはどっち、という表示があったりする。東西に走っているのはごく一部の地域内のことで、アメリカ全土レベルの視点から捉まえれば、確かに道路は南北に走っているというわけだ。こういった感覚もいつの頃からか自然に身に付いてきたように思う。

カーナビは便利だから、初めての場所でも地図も見ずに安心して到達することができる。でも僕はどうしても地図を見て「予習」を心がけるようにしている。心の奥底には、カーナビを完全には信用できないという、根拠のない思い込みがある。だからカーナビのスクリーンを地図の補足としてしか見ないので、同じ様に北を上にして表示してくれないと困るのである。同じ左折をするにしても、その結果どっちの方角に向かうのかを知ることが重要なのである。地図で予習をしない妻にとっては、そんなことはどうでもよくて、要するに自分が次にどうすればよいのかだけをはっきりさせてくれ、というわけなのだろう。

たかがカーナビの使い方の違いに過ぎないのだけれど、便利な道具は地域的というか地図的感覚を意識させることなく済ませてしまうというわけだ。こういった意識が重要だと言うつもりはない。ただ他人の車に同乗させてもらう時はカーナビの設定を確認し、僕と同じだと思わず密かにうなずいてしまうのである。

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