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ある時はコンピュータの製品企画担当者、またある時は?

エバンジェリストの心得

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サーバーを担当する部門内において、僕がエバンジェリストなる立場に任命されたのは、この制度が発足した2006年秋のことであった。製品に関するスキルは十分に備わっていることを前提に、当時の責任者が必要性を強く説いていたのは情熱であった。要するにIBMサーバーの優位性を語れ、もしかしたら間違うことがあるかもしれない、しかし情熱を持って説け、というわけだ。話を聞いている人達にも情熱を伝えるという技術は非常に難しい。単に訓練すれば済むというのは次元が異なる境地があって、それは個人の「芸風」にも大きく関わってくる。話の筋道が通っているとか、わかりやすい、だけでは済まされない潜在的な何かが必要であろう。

僕の周囲にもそういう芸風を確立している人がいる。その語りをライブで聞いて共通していると感じるのは、声が大きい、早口、といったところだろうか。そして実は「あれぇ?」と感じる点が随所に見られたりする。聞いている人にじっくりと説いて聞かせるというのとは程遠い、ついうっかりすると何が何だかわからないけれども話の勢いに乗せられてしまい、時々出てくるとんでもない例え話とか冗談だけが印象に残る、と言うと言い過ぎであろうか。でも聞いている側の評価は非常に高い。

ある時その「芸人」と一緒の時に、「話に勢いがあって面白かったですね」と言ったついでに、「でも速くて追随できなかった人も多かったのでは?」と聞いてみたことがある。すると、所々印象に残るポイントがあればそれでいいのだ、という明快な答えが返ってきた。資料は渡してあるし、どうせ一時間やそこらで、話を全部わかってもらおうと期待する方に無理がある。極論すると、冗談や例え話だけを頭に入れてもらうので構わない。必要があったら後でゆっくり資料を見て振り返ってもらえればよい、のだそうだ。だから、その人の説明資料は結構細かくて膨大な量があって、一時間そこそこなのに60枚以上なんてこともあったりする。これをまともに製品に馴染みのない人に向かって、事細かに説明するのは飽きられてしまうだけだ。

又聞きで恐縮だが、皆がリンゴを売るから我々はバナナを売っている、だから一本ずつバラ売りができるのだ、という話が出たことがあるのだそうだ。聞いていた人に何の説明で出てきた話なのかを質問したら、ある製品機能についての説明だったことは記憶していたのだが、「何を言っていたんだったっけ?」という答えが返ってきた。

こういった「芸人」の後継者育成も難しい。かつてこういった「大道芸」を若手に引き継がせようという試みがあったが不発に終わったことがある。製品スキルがなかったわけでも何でもない。ただ個人の芸風が合っていなかっただけのことである。僕も同じ事をやれと言われてもできそうにない。真偽の程はわからないが、彼等芸人達は、かつて大学で落語研究会とか何かの劇団に属していたことがあるらしい。素人が迂闊に手を出すと、火傷を負うだけのことだ。素人には素人なりの「芸」の磨き方があると考えておこう。

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