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【書評】『謎のチェス指し人形「ターク」』

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昨日に引き続き、英国のジャーナリストであるトム・スタンデージ氏の著作のご紹介を。『謎のチェス指し人形「ターク」』という魅惑的なタイトルの一冊で、『ヴィクトリア朝時代のインターネット』との同時発刊となります。ちなみにこちらも予約注文していたのですが、NTT出版さんから一冊ご献本頂きました。ありがとうございます。

謎のチェス指し人形「ターク」 謎のチェス指し人形「ターク」
トム・スタンデージ 服部 桂

エヌティティ出版 2011-12-21
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***** 以下、ネタバレを含んだ文章になりますので、「ターク」の真相を知らずに読みたいという方はここでストップして下さい。 *****

さて、さっそくチェス指し人形「ターク」とは何者かという話なのですが、本書の原題は"Mechanical Turk"(機械仕掛けのトルコ人)といいます。この名前、どっかで耳にしたことがあるような……という方も多いのではないでしょうか。そう、もう6年前になりますが、米アマゾンが"Amazon Mechanical Turk"というサービスをスタートさせています。これは簡単なタスク(アップロードした写真の中に羊が何頭いるか数えてくれ etc.)をオンラインで依頼すると、その結果が返ってくるというサービスなのですが、実はネットの向こう側に控えているのは普通の人間。APIを通じてプログラムを呼び出すようなイメージで、人力というリソースを利用することができるわけですね。

なぜアマゾンはこのサービスに"Mechanical Turk"の名前を使ったのか。発表当時のCNET Japanの記事を引用してみましょう:

人力で解決--アマゾン、ソフトウェアの苦手作業を代行するサービスを開始 (CNET Japan)

Mechanical Turkという名称は、ハンガリー生まれの発明家Wolfgang von Kempelenが1769年に作ったチェス対戦ロボットにちなんでいる。ほぼ無敵を誇ったこの「マシン」の中には、実は本物のチェス名人が隠れていた。同サービスも人間の知力を活用してコンピュータでは対応できない大量の小さな問題を解決する、とされている。

このように「ターク」とは、18世紀にオーストリア=ハンガリー帝国の宮廷に仕えていた文官ヴォルフガング・フォン・ケンペレンが制作した「チェスを指す自動人形(オートマトン)のふりをした人間が操作する人形」のこと。要は世間を欺いた奇術の類だったのですが、「機械のように見えて実は裏側に人間がいる」ことの喩えとして、アマゾンは"Amazon Mechanical Turk"というサービス名をつけたわけですね。

ただし単なるトリック人形であれば、一冊の本のテーマになるわけがありません。「ターク」は制作者であるケンペレンの生前はおろか、その死後何年も経っても仕掛けが暴露されることはなく、所有者を転々としながら「チェスを指すロボット」として世界を驚かせ続けます。それだけ複雑な技術と偽装のテクニックが駆使されていたわけで、秘密が完全に明らかになったのは、1971年からおよそ20年間かけて行われたターク復元作業によってでした。つまり200年もの間、それが何らかのトリックで動いているのではないか?という疑惑をかけられながらも、どのような仕組みで実現されていたのかはっきりしていなかったことになります。

本書は時系列に沿いながら、あえてタークの秘密を曖昧にしたままで、「彼」がたどった数奇な運命を追って行きます。それ自体が非常に面白く、一種の物語として楽しむことができるでしょう。しかし本書が全体を通じて描いているテーマは、人間が自らに等しい存在を創造しようとした時に生じる、期待と疑念が入り交じった奇妙な感覚ではないかと思います。

タークの公開された初期には、それが完全に機械だけで動いていると信じることは法外な話ではなく、多くの教養ある観察者がそう信じていた。18世紀末という時代は、機械装置によって開かれる可能性は無限に思われ、ある人々にとってチェスを指す機械は、蒸気機関や織機よりほんの少しすごいものにしか思えなかったのだろう。

18世紀末に人々が抱いていた期待感を、本書はこのように指摘します。いわば技術への期待が、タークに対する疑いを弱めていたと言えるでしょう。その後技術が身の回りに溢れ、珍しい存在でなくなってからは、逆に技術の限界が見え始め「チェスが指せる人形など作れるはずがない」という意見が支配的になります。19世紀末には、チェスを指せる人形は将来にわたっても実現不可能だ、と予測するオートマトン制作者まで登場しました。

しかしご存知の通り、21世紀に住む私たちは、チェスを指すどころかクイズ番組で人間に勝つことのできる機械が登場していることを知っています。私たちはどうやら、考えたり自律的に動いたりする人形を目にすると、それについて冷静な判断ができなくなってしまうようです。さらにタークに魅せられ、その秘密を追ったり、自分でも同じような機械を作ったりする人々が無数に現れ、それが様々な副産物を生み出していったことも本書では描かれています。仮にタークが空を飛ぶことのできる機械の鳥だったとしたら、それも驚異的な技術には違いありませんが、これほど多くの人々の興味をかき立てることは無かったのではないでしょうか。

その意味で本書は、タークという存在を通して見た、人間の姿を考える一冊ではないかと思います。タークをただの奇術として片付けるか、技術史に残る重要な存在と位置付けるかは、それに関係した人々を視野に入れて始めて判断できるのではないでしょうか。

【関連記事】

"Amazon Mechanical Turk"については、ニコラス・カーが以前面白い表現をしているので、ご参考まで:

機械に接続する人間たち (シロクマ日報)

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