剣闘士ビジネスの終焉
たまたま書店で平積みされていた『帝国を魅せる剣闘士』が目に入り、購入してしまいました。理由?だってグラディエータ―ですよ、グラディエータ―!カッコイイ!
というのは非常に不謹慎なわけですが(失礼しました)、古代ローマの人々も剣闘士の戦いに熱狂していたようで、支配者層がそれに押し切られる形で、あるいは逆に利用する形で剣闘士興行が広がっていった様子が本書で描かれています。既に前4世紀から剣闘士試合の痕跡が認められ、5世紀半ば頃まで続いたそうですから、1000年近く続けられたわけですね。その起源や試合のルール、競技場の建設、興行師(ラニスタ)の役割、告知の方法など、「剣闘士ビジネス」を取り巻く様々な側面が本書で紹介されていますので、ご興味のある方は目を通してみて下さい。
しかしそんな風に熱狂的に支持された剣闘士競技にも、終わりの時がやってきます。その原因についても本書で考察が行われているのですが、個人的に興味を惹かれたのは、剣闘士の歴史の終盤に訪れた「ある変化」です。
興味深いことに、時が経つにつれて、剣闘士試合において敗者の死ぬ確率が高まっていったのだとか。よく映画などでも描かれているように、負けても善戦した剣闘士に対しては観客から「生かしてやれ!」という声援が飛び、主催者が親指を上にあげる(本当は下にさげるという方が正しいと考えられているそうです)と殺されずに済んだようです。実際に一時期の資料を見ると、殺されたのは2割に満たない(それでも死者が出ていたことは事実ですが)時代もあったとのこと。このように1世紀の頃までは、敗者は必ずしも殺されるものではなかったのが、200年後の3世紀頃になると「死亡率」は5割、つまり一方の剣士が必ず死ぬという状況になったそうです。
興行師にとって、剣闘士はビジネスを成り立たせる上で必要不可欠な存在ですから、いわば大切な「商品」でした。この表現は冷徹なように聞こえるかもしれませんが、「商品」が傷ついたり、失われたりすればビジネス上の損失になることを意味しますから、剣闘士に対しては一定の庇護が与えられることになります。事実、興行師は剣闘士(多くが奴隷や戦争捕虜など、時に憧れから自ら剣闘士になる自由身分の者もいた)に稽古を付けたり、試合で傷つけば良い医者に診せてやったりと、様々なケアを行っていたようです。
ところが剣闘士の歴史の末期になると、ローマは対外戦争から多数の戦争捕虜、つまりローマ国内では罪人を手にすることができるようになります。つまり「商品」を低コストで手に入れることができるようになったと。しかも相手は罪人ですから、むごたらしい殺され方をしても咎められません。その結果、適当な装備で闘技場に放り込まれるなど、およそ「競技」とは言えない状態になっていったようです:
この三世紀後半には、おそらく自由身分の志願剣闘士はほとんどいなくなっていたに違いない。戦う技術を競うという点でも、もはやあえて剣闘士を志すことなど思いもおよばなかっただろう。それとともに、奴隷や犯罪者、とりわけ戦争捕虜が占める割合はますます増えていたはずだ。
(中略)
戦争捕虜は多種多様であり、ここではヌビア人、ゲルマン人、サルマタエ人、イサウリア人が登場する。彼らは剣闘士として戦い、その多くが血を流して死んでいった。もはや、殺すか殺されるか、文字通りの死闘であった。
そのような滅茶苦茶な流血の惨劇が観衆にとってわくわくする見せ物だったのだろうか。戦争捕虜は罪人であったから、彼らに同情を寄せる余地はなかったのかもしれない。だが、血なまぐさい死闘はくりかえされても、高度な技術で張り合う競技ではなくなっていくのだ。ある種のおもしろさは増しても、本来のおもしろさは失われていくともいえる。
つまり剣闘士という商品の希少価値から、あるいは競技としての面白さを追求しようとして、剣闘士にはすぐに殺されないような仕組み(稽古をつける、装備にハンデをつけて力が釣り合うようにするなど)が施されていたのが、「罪人」というリソースがふんだんに供給されるに至って、その歯車が狂い始めたと。観客が求めるのがただの殺し合いであれば良かったのでしょうが、競技性を失った剣闘士興行には残忍な側面しか残らなくなり、人気が失われていったようです。
もちろん社会には様々な要素があり、ある出来事を単純に言い切ることはできません。ただあえて単純に考えるとすれば、制約だと思われていた「剣闘士の希少価値」という側面が、実は競技性という重要な価値を担う要素の1つだった、と言えるでしょうか。天然資源の乏しさが、それを補うための技術力という結果につながった、日本の姿とだぶらせて考えることもできるかもしれません。
いずれにしても、誤解を恐れずに言えば、剣闘士興行の興亡をエンターテイメント・ビジネスという側面から捉えて考えてみても面白いのでは、と思わせる一冊でした。もちろん純粋に歴史書としても楽しめますので、この冬休みにイタリアに行くよー!などという羨ましい方、読まれてみてはいかがでしょうか。
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