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【書評】『追跡!私の「ごみ」』

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今日はひとつ、変わった本を紹介してみましょう。タイトルは『追跡!私の「ごみ」―捨てられたモノはどこへ行くのか?』。米国のゴミ問題をテーマにした本です。著者はエリザベス・ロイトさんというジャーナリストの方で、現在ニューヨークのブルックリン在住。別に環境保護活動家というわけではなく、ゴミ問題に対する関心は普通の市民と変わりません(でした)。そんな彼女が、1年にわたって文字通り「自分の捨てたゴミを追跡」し、この問題が一筋縄では解決できないやっかいなものであることを認識していく――という内容です。

はっきり言って楽しい本ではありません。最近はカーボン・フットプリントや省エネなど、消費の「入り口」の方では関心が高まっています。しかし「出口」であるゴミも非常に大きな問題であることを、本書は私たちの目の前に突きつけてきます(舞台は米国であり、期待も込めて「日本の現状は違う」と言いたいのですが、現実は似たり寄ったりでしょう)。ゴミ収集・処理の現場に赴くシーンでは生々しい描写が行われ、こちらまで生ゴミの臭いがただよってくるかのよう。さらに下心丸出しでゴミ処理・リサイクルにかかわる怪しげな業者、根拠があやふやな持論をふりかざす活動家、事態を直視しようとしない自治体関係者などなどが登場し、問題解決どころかますます混迷しそうな不安を抱かせます。

さらに悪いのは、エリザベスさんが何ら解決策を提示してくれないという点。もちろん彼女は「目を背けたくなるようなゴミ処理の現場」を自ら体験することで、この問題に対し何か行動を起こさなければならないという気持ちになります。そこでリサイクルやコンポストなど様々な解決策に手を伸ばすのですが、その度に新たな問題が起きたり、その方法の批判者が登場したりします(あるアイデアの賛同者だけでなく、批判者にもちゃんと話を聞きに行っているのがこの本の偉いところ)。しまいには「都市固体ごみは(米国全土の)ごみのわずか2%しか占めていない」(つまりいかに私たちが個人的な努力をしようが、問題の2%しか解決できない)という衝撃の事実まで明らかにされ、ならどうしたらいいんだ!と叫ばずにはいられない気持ちに。これから蒸し暑くなる季節ですし、ゴミの腐臭よりスッキリとした爽快感を味わいたいという方は「スティーブ・ジョブス成功物語」的な本を選んでおいた方が無難かも。

しかし本書を読む意味は、まさにその無力感を感じられるという点にあると言えるでしょう。ゴミ処理の現場を歩き、自ら様々な解決策を実践した後で、エリザベスさんはこんな結論に至ります:

私は、1年間もごみ問題に浸かりきって、問題はどこにごみを厄介払いするかではない、と悟った。埋立場にも、焼却場にも、余剰能力はまだたっぷりと残っている。だが、ごみの運搬と廃棄はますます割高になり、2003年のニューヨークの清掃費予算は10億ドルに達しようとしている。そしてどれほど綿密に設計されたものであれ、埋立場やごみ焼却発電施設は環境に安全とは言いがたい。有害物はこぼれ、漏れる。そしてそれらは、ゆっくりと私たちと共生する生き物に蓄積していく。もし、そのころにもまだ埋立てられた焼却灰になんの価値も見出せていなければ、埋立場跡は、数百年間にわたって安全に使うことができない。

ごみに問題があるとすれば、それは、埋立場や焼却場のおかげで、ごみの廃棄があまりにも簡単なことだ。ごみを埋立てたり焼却したりすることは、さらに資源を使い、さらに製品を生産することを促している。私たちは、ごみ箱を見てもっと考えるべきだ。埋立場のスペースや資源回収によって節約できる燃料のことではない。私たちが手軽に消費し、こともなげに捨てている商品をつくるために、いったいどれだけの原材料やエネルギーが投入されているかを考えるべきなのだ。私たちはごみを見て不安になり、行動を促されるようであるべきだ。もののより良い捨て方を考えるのではなく、ものを捨てないようにしなければならない。何度でもものを循環させたり、あるいは、そもそもものを欲しがらないようにすることだ。

ゴミの問題は、それを捨てるのが簡単なこと――この点は核心を突いているのではないでしょうか。最近はゴミ収集を有料化する自治体が増えていますが、それでもお金を払えばどこかへ消えていく(ように見える)のであれば、ゴミを問題として捉える人が増えるはずもありません。渋滞と同じで、増え続けるクルマ(ゴミ)にあわせて道路(処理能力)を増やしていては、通行料を取っても結局はクルマを増やすだけで終わってしまうでしょう。ならば根本的なパラダイムシフトを起こすしかない、と。それが簡単にはいかない話であることは分かっていますが、少しでも多くの人々が本書などを通じて現実を知り、考え方を変えていくことで可能性は高まっていくのではないでしょうか。政治の分野で「チェンジ」が実現した世界であれば、社会問題においても「チェンジ」が実現しないはずはない、と信じたいと思います。

ちなみにエリザベスさんですが、あるゴミ処理場を訪れた際に悪臭が服に染み付いてしまい、帰り道の地下鉄の中で文字通り「周囲の乗客が自分を避ける」という状況になったのだとか。これぞジャーナリスト魂、といったところでしょうか……僕にはとても真似できません。

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