テレビの何から離れているのか?
昨夜、NHK総合で放送された番組『日本の、これから』。放送記念日特集として、「テレビの、これから」というテーマが置かれていました。昨年の放送記念日特集でもかなり踏みこんだ内容を放送していたNHKですが、今回も民放各局(!)のプロデューサーやディレクター、並びにドワンゴ取締役の夏野剛さん、コピーライターの糸井重里さんなどを招いて、具体的な番組名が乱れ飛ぶ議論が行われていました。まさに放送時間中の裏番組(『世界一受けたい授業』)のプロデューサーが出演していたり、ドワンゴの夏野さんが「番組を見るのに、自分の生活の方を放送時間に合わせなくちゃいけないなんておかしい」と言い放ったり、さらには一般人の参加者から「テレビのニュースは事実を歪めているんじゃないか?」的な発言が出たりと、ある意味NHK以外の局では放送不可能な内容だったと言えるでしょう。3時間の長丁場でしたが(スポーツ以外でこれほど長時間テレビを見続けたのは久しぶり)、結論から言って非常に面白い番組でした。
しかし1つだけ気になったのは、「テレビ」という言葉の定義があいまいなまま議論が進んでしまったこと。例えば、特に若者を中心に「テレビ離れが進んでいる」などと言われますが、テレビの何から離れているのでしょうか?
僕自身、テレビを観る時間は以前より明らかに減っています。しかし「これは面白そうだな、観たいな」と感じる番組が無いかというとそうでもありません。ではなぜ観たい番組を観ないのかといえば、やはり一番問題になるのは放送時間。例えば夜8時から放送されるとして、それまでに家に帰れる保証はありませんし、逆に夜9時~10時などの場合は娘を寝かしつけている(そして一緒に寝てしまっている)危険があります。ではHDDレコーダーに録画して観るかというと、古い機種なので録画設定が面倒(特にケーブルテレビの場合は最悪)なため、横着な僕は「メンドクサイからいいや」となってしまいます。また苦労してHDDに録画しても、レコーダーがつながっているテレビは娘の寝室の隣にあるため、部屋を明るくしたり音を立てたりということができません。結論として、「テレビを観れる時間帯に放送してくれない番組は観ない」となってしまうわけですね。
さらによく考えてみると、「あの番組観たいなぁ。まぁ、少ししたら YouTube かニコニコ動画にアップされるだろ」と考えてしまっている自分がいます。もちろんアップされる動画は違法のものが大部分であり、それが許されることだとは思いません。しかし、自分が観たいと思う瞬間に、観たいと思う場所で観ることができる。その利便性にはやはり魅力を感じてしまいます(しかもネットであれば検索ができて、他人の評価から面白いコンテンツだけを抜き出して観るということも可能ですよね)。テレビ番組には、いまでも面白いものが多い。しかし自分の生活リズムや生活スタイル、そして新しい視聴スタイルに合わせてくれないのなら、無理をしてまで観ようと思わない――自分自身に限定して言えばこんな感じでしょうか。
そう考えると、僕はテレビ「番組」からはあまり離れようとしていませんが、テレビ「放送」からは離れていることになります。このように「コンテンツとしてのテレビ」と「メディアとしてのテレビ」を分け、その上で何が問題なのかを考えないと、議論が混乱してしまいます。
で、ここから先は個人的な意見ですが。僕は現在のテレビは「コンテンツ」として行き詰まっているというよりも、「メディア」として行き詰まっている側面の方が強いのではないかと思います。もちろん「番組」自体が面白くなくなったと感じる方も多いでしょうし(僕も全テレビ局ではないですが、面白くない番組が増えてきたと感じることがあります)、「放送」というスタイルの方が自分に合う(あるいはネットや専用端末は操作が難しいので嫌い)という方も多いでしょう。しかしテキストコンテンツの場合と異なり、映像コンテンツの分野では、高価な機材・設備を有しているテレビ局が依然として個人を上回るコンテンツ制作能力を持っています。また番組内でも紹介されていましたが、海外ではテレビ番組をネット上で見れるようにすることで、視聴者を呼び寄せることに成功する企業が出始めています。誰もがネット上だけでテレビ番組を観るようになるとは思いませんが、多様な視聴スタイルを可能にすることで、テレビから去っていった人々を再び振り返らせることができるのではないでしょうか。
ただし、現在のテレビ局という存在は「番組と一緒にCMを流し、それを視聴者が観るという前提で企業から広告料を受け取る」というモデルに依拠しているわけで、YouTube のように検索して観たい部分だけを観るというスタイルが出来てしまったら収益構造が崩壊してしまいます。それを知ってか知らずか、「テレビの、これから」に参加していたテレビ局のディレクター・プロデューサーの方々は口々に「リアルタイムで観て欲しい」「リアルタイムで観てもらえるような番組をつくる」と述べていたのですが、そもそも放送時間の方に生活を合わせることが出来ないという人々に「いいから録画しないで放送時間にテレビの前に座ってくれ!」などと期待する方が無理でしょう。テレビ局側のニーズにも配慮してくれる動画サイトと協力し、スキップできないCMを挟んだり、あるいはいっそのこと有料オンデマンドサービスにしてしまうなど、むしろビジネスモデルの方を新しくする努力を追求するべきだと考えます。
その意味で、「テレビの、これから」に招かれていたのがディレクター・プロデューサー中心で、テレビ「局」の経営に関係する人々が少なかったことが残念でした。実際、番組編成や視聴率の問題に話が及んだ時に「私に言われても……」的な空気がテレビ関係者側に感じられたのですが、仮に経営に近い人々が参加していれば恐らく違った展開になったことでしょう。またさらに仮定の話をすれば、これまでテレビ番組の制作に携ってきた人々が、何らかの形で「ネット番組」の制作にシフトできる可能性が示されていたらどうなっていたか――そうなるとかなり視聴者が限定された番組になってしまっていたでしょうが。
ともあれ、「ネット上ではなくてテレビ番組でこんな議論が聞けるとは」という嬉しい驚きのある番組でした。この他にも、糸井重里さんが「みなテレビ離れと言うけれど、明治や大正時代にはテレビなんかなかったわけで、『テレビくっつきが治った』と表現した方が正しいのでは?」といった発言をされるなど、いろいろと紹介したいポイントがあるのですが……ああ、こんな時にこそ「ネットですぐに番組が観れる」という環境が整っていたら良かったのに!