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オーマイニュース・ジャパンの閉鎖を悼む

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今日はこのニュースに触れないわけにはいかないでしょう。韓国発の市民ニュースサイトとして日本に上陸したオーマイニュース(OhmyNews)が、ついに完全閉鎖されます:

「OhmyNews」閉鎖へ 「市民参加型」ニュースサイト、2年半で幕 (ITmedia News)

公式発表はこちら:

Oh!MyLife:【重要】サイト閉鎖のお知らせ (Oh!MyLife)

ご存知の方も多いと思いますが、オーマイニュース・ジャパンは経営不振から昨年8月に「オーマイライフ(Oh!MyLife)」に改名、サイトコンセプトを「体験型レポートサイト」へと変更しています。従って、この時点で市民ニュースサイトとしての役割は終えていたと言えるかもしれません。そして今回はサイト全体が閉鎖されることが決定され、4月25日以降はデータが消去されて完全にアクセスできなくなるとのこと。これで名実共にオーマイニュース・ジャパンは消え去ることになります。

善人ぶるつもりはないので明言しますが、個人的にオーマイニュース・ジャパンの運営方針には納得いかない部分が多々ありました。今回の完全撤退も、ある意味で自業自得の面があると感じています。しかし良くも悪くも「市民ニュース」というコンセプトの代名詞になってしまっているオーマイニュースの閉鎖に対しては、野次馬を決め込んでもいられないのではないでしょうか。

最も心配なのは、「やはり報道はマスメディアのものだ」といった認識が広まってしまうことです(既にこの手の発言をされている方は多いのですが)。ITmedia 読者層の方々には説明不要だと思いますが、一般市民からの記事投稿を受け付けるタイプのニュースサイトは、オーマイニュース以外にも複数存在しています。他の市民ニュースサイトが問題を抱えていないわけではありませんが、新しいモデルを構築しようと奮闘している最中であり、オルタナティブな報道のあり方が否定されたわけではありません。個々の事例について詳しい成功要因・失敗要因が検証されるべきところに、十把一絡げに「やっぱりダメだ」的な空気が生まれてしまわないか不安です。

さらに既存のマスメディアとは異なる、オルタナティブなメディアが消えること自体が、私達にとって損失ではないでしょうか。ジャーナリストのミッチ・ウォルツ氏が、大学でのメディア研究等の授業で使用することを念頭に置いて書いた本『オルタナティブ・メディア―変革のための市民メディア入門』の中で、こんな言葉が引用されています:

現在のテレビ報道は、一握りの巨大メディア企業による寡占状態にある。そもそも報道機関というものは、自らの企業利益にかなうように、特定の話題を大きくとりあげたりとりあげなかったりする危険性を常に持っている。そして、大手メディアが避けたがるようなニュースを報じようとする独立系の報道機関が存在しない場合、この危険性ははるかに大きくなる。
――テッド・ターナー(CNN創設者、ターナー・エンタープライズ会長)

さらにこんな言葉も:

「私たちの仕事は、ニュースや情報を提供することではない。私たちの仕事は、十分に調査された音楽を提供することではない。私たちの仕事は、単に、顧客に商品を売ることだ」。これは、全米最大のラジオ運営会社であるクリア・チャンネル・コミュニケーションズのCEOの発言である。

これらは米国のテレビ・ラジオ業界を指した言葉ですが、日本のマスメディア全般にも言えることでしょう。押し紙やヤラセ番組といった身内の問題については、テレビも新聞も追求が甘いというのはご存知の通り。また発言力の大きいマイノリティ集団が少ない日本では、少数派の意見を採り上げるよりも最大公約数を狙おうという意識がどうしても強くなります。実際、「あらたにす」が日本の3大紙の違いよりも、共通性の方を強く認識させてしまったのは記憶に新しいところです。

そのような中で、市民ニュースサイトというオルタナティブがメディアが存在することは、私たち一般人だけでなくマスメディアにとっても有意義でしょう。ちょうど先日「新旧メディアが補完し合うことの価値」というエントリを書きましたが、例えば関心を持つ人が少ない(よって発行部数や視聴率を狙うマスメディアには取り上げることが難しい)問題を市民メディアが地道に拾い上げることで、問題の存在が認識されてマスメディア上での報道につながってゆく……という流れが期待できるはずです。さらにちょっと穿った期待をすれば、自社では流せないネタを拾った記者が、「彼らなら世に広めてくれるはず」と独立系メディアに持ち込むなんて可能性があるかもしれません。オーマイニュースは様々な問題を抱えたサイトでしたが、それでも既存メディアとは異なる仕組みでの「報道」を目指していたことで、他では見いだせない情報が世に出る確率を高めていたのではないでしょうか。

「ほら失敗した、ざまあみろ」と言ってしまうことは簡単です。しかし、彼らがいなくなることによって不利益を被ることが本当に無いのか、今一度考えてみるべきでしょう。ともあれ、オーマイニュースを単なる飯のタネではなく、本当の意味での市民ニュースとして日本に根づかせようと頑張ってこられた方々、お疲れさまでした。その経験は、次の独立系メディアが花開く際の土台となっていくはずです。

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