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新旧メディアが補完し合うことの価値

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一昨日に続いて、昨夜NHKのBS1で放送記念日特集が放送されていました。今回のテーマは「市民発ニュースが社会を変える」。タイトルから分かる通り、いわゆる「市民ジャーナリズム」と呼ばれる現象について考えるという内容で、特にネットを活用した成功例として米国と韓国での事例が取り上げられていました。

市民ジャーナリズム、あるいは「個人や非営利団体が報道行為を行う」という現象はこのブログでも取り上げてきましたし、昨今のCGMと呼ばれる現象に親しんでいる ITmedia 読者層の方々には説明不要でしょう。日本でも言わずと知れたオーマイニュースのような失敗例もあれば、アルファブロガーのように個人でも影響力を持つに至った人々が存在していますし、ネットが市民ジャーナリズムを促進しているという状況は珍しいものではありません。個人的にも今回の番組で紹介された内容には、「海外ではこんな現象が起きているのか」的な驚きは少なく、むしろ「テレビではまだこれくらいの認識なのか」といった思いを抱きました。

ただ、番組内に登場した人々の発言の中には、いくつか考えさせられるものがありました。その中から、奇しくも既存の大手メディア関係者2人から発せられた言葉を紹介しておきましょう。まずは元ABCプロデューサー、マーク・ハルパーリンさんの言葉:

大手メディアはクオリティの高い報道に徹するか、視聴者の関心の最大公約数を狙ってセンセーショナルな報道を行うかで迷っている。独立系メディアの報道が客観的だとは思わないが、(大手メディアと違ってストレートに主張を表せるので)同じような考えを持つ人々から支持されているのだろう。

次に韓国KTV関係者の方(名前を書きそこねてしまいました)の言葉:

市民メディアの強みは、個人的な視点や関心から長期間の取材ができること。一方で客観性や最大公約数を目指すのが大手メディア。2つを組み合わせれば報道の新たな可能性が開けるのではないか。

どちらも録画して観ていたわけではないので、言葉の違い等はご容赦下さい。いずれにしても、2人が大手メディアにおける報道の限界と、市民ジャーナリズムへの半ば期待めいたものを述べていたことが印象に残りました。

全てのものには長所と短所があります。というより、ある特徴が長所となる場合もあれば短所となる場合もある、と言うべきでしょうか。大手メディアによる組織的・企業的なジャーナリズムは、個人には難しいスピードで広範囲に及ぶ情報収集を可能にしますが、一方で「組織の論理」「広告主の意向」といったバイアスがかかる危険性があります。個人による独立系ジャーナリズムはリソースが限られているものの、締め切りや放送時間、あるいは転籍や左遷といったものを気にする必要がなく、信念に基づいた行動が取れるでしょう。また公正・中立で事実だけを伝えることが必要な場面もあれば、主義主張を真正面から論じることが必要な場面もあるはずです。従って両者の優劣を論じるのはナンセンスで、両者をどう活用すれば「優」の状態をつくりだせるかを考える方が建設的ではないでしょうか。

既存メディア vs. ネット。組織 vs. 個人。メディアを論じるときはどうしても対立で考えてしまいがちです(僕もその一人です)。しかし先日も「記者とブロガーは補完し合う関係であるべき」と書いたように、本来は対立より先に協力が追求されるべきでしょう。今後は市民ジャーナリズムやCGM単体で成否が論じられるのではなく、それが既存メディアをどう助けるか、あるいは逆に既存メディアからどんなサポートが提供できるかといった側面が考えられていくようになることを期待します。

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