オルタナティブ・ブログ > 仕事と生活と私――ITエンジニアの人生 >

IT技術者教育に携わって25年が経ちました。その間、変わったことも、変わらなかったこともあります。ここでは、IT業界の現状や昔話やこれから起きそうなこと、エンジニアの仕事や生活について、なるべく「私」の視点で紹介していきます。

同性愛と異性愛

»

渋谷区が、同性カップルに対して「結婚に相当する関係」を認める証明書を発行する条例案を3月区議会に提出することを決めたそうだ(渋谷区が同性カップルに「パートナーシップ証明書」を発行する条例案の提出を決定! 世田谷区も検討)。

法的にはもちろん結婚できないわけで、何の意味があるのかと思う人もいるだろう。これは、同性カップルがアパートの入居や病室の付き添いで受けている不利益を解消するための処置だ。賃貸住宅の中には「家族のみ同居可」という物件がしばしばある。法律上の夫婦はもちろん問題ないし、たいていは事実婚でも大丈夫だが、同性カップルは断られる場合があるそうだ。また、パートナーが病気になったときに、病状を詳しく説明してもらえない場合もある。

日本セクシャルマイノリティ協会」が、クラウドファンディングで集めた資金で開催した写真展「"好き" に変はない」では、同性カップルの写真に1枚ずつコピーがついていた。そこには

「家族以外の面会謝絶」
18年間も連れ添ったのに、
病室に入れてもらえなかった
カップルがいる。
DSC00694M
▲「"好き" に変はない」より

という言葉もあった。こういう悲しいことを防げるなら結構な話である。

写真展「"好き" に変はない」は、「スクールガール・コンプレックス」や「ソラリーマン」で有名な青山裕企氏が写真を担当した。現在、公式サイトではすべての写真が閲覧できるようになっている。展示写真は撮影およびSNSでの公開が許可されていたが、公式Webサイトの方がきれいなので、ぜひアクセスして欲しい。

ここでは、写真に添えられたコピーだけを紹介しておく。

たったひとりを好きになっただけで、
たくさんの人から嫌われた。

以前、ある媒体で「同性愛者は、告白するだけで社会的な非難にさらされるリスクがあるので、そう簡単に誘えない」と書いたら「そんな社会を認めたことになるので、この表現はやめてください」と言われたことがある。でも、実際そうだろう。

両想いになってからが、難しい恋愛がある。

好きな人と、
手を繋ぎたいと思う。
この気持ちは変ですか?

同性を好きになる人は
じつは左利きの人と同じくらいいる。

遠距離に負けないカップルが純愛なら、
差別に負けないカップルも純愛だと思う。

「彼女いる?」ではなく
「恋人いる?」と聞かれると
うれしい。

男の子と付き合えば、
男性が好きになれると思った。
でも、変わらなかった。

友だちといると、
恋バナが始まるのが怖い

ゲイの友だちができた。
ふつうにいいやつだった。

日本の芸能界で、自称「ゲイ」の多くは「おねえ」キャラだが、米国ではたいてい「マッチョ」である。実際のところ、同性愛と行動様式はあまり関係ないようだ。数年前、古い友人がゲイだと人づてに聞いた(共著で本を出したらしい)。いつから自分の性癖に気付いたか分からないが、特に意識したことはない。恋愛対象でない限り、特に気にするものでもない。

性同一障害の場合は、着替えやトイレに支障が出るが、性的な関係を結びたいと思う場合を除いて、日常生活で同性愛を意識する必要はないはずだ。

同性結婚式がニュースになるのはうれしい。
でも、いつまでもニュースになるのは悲しい。

同性婚を認めている国は、
幸福度が高いという
データがあるんだって。

「家族以外の面会謝絶」
18年間も連れ添ったのに、
病室に入れてもらえなかった
カップルがいる。

性のカタチは、
女と男の2通りではなくて
70億通りあると思う。

好きな女性に、
オレは女の子の名前で呼ばれる。

ふたりとも、身体は女。
でも心は男だから、
ある意味ゲイのカップルなんです。

小説「親指Pの修業時代」では、身体が男で心は女のレズビアンに対して「(生物学的な)男が、女を好きで、それでいいじゃない」と言ったら、「そうじゃないの、私は女としての私を愛して欲しい女性を求めているの」と力説したシーンがあった。

同性愛を考えること。
「みんなちがうんだ」と
認めること。

ところで、「"好き" に変はない」というのは実にいいタイトルである。異性愛であっても同性愛であっても、「好き」という気持ちに変わりはない。

小説「ナルニア国物語」は、キリスト教をモチーフにしていることで知られている(著者のC.S.ルイスは神学者である)。映画にもなった「ライオンと魔女」は、イエスの処刑と復活をモチーフにしているし、最終巻「さいごの戦い」は「最後の審判」を描いたものである。

「さいごの戦い」のラストでは、邪神を信仰していた人間が救われるシーンがある。そこでは、邪神であっても信仰の気持ちが本物なら救われると説明された。同性愛は、異常でも何でもないが(過去に「異常性愛」と説明した辞書もあったようだが現在ではないはず)、少数派であるため理解できない部分は私にもある。けれど、人を好きになる気持ちは異性愛も同性愛も変わらないはずだ。

Comment(0)