バレンタイン戦争を終わらせに来た!
バレンタインというのは本当に不毛である、と私は勝手に思っている。誤解がないようにもう一度言うが、私が勝手に思っているだけである。もし、異論があるならおのおの思ってもらえればいい。ただ、このマーケティング戦略にもとづく悪しき習慣は多くの人を傷つけ、また多くの恋愛を救ってきたのも事実である。そのため、このブログでは、バレンタインデーの習慣に対するソーシャルメディア界隈の人の意見を散見し、その反応が私の考えに概ね近いのであれば、それを元に、このバレンタインという習慣を終わらせるための、付け焼刃な戦略PR論を提言したい。
などと、書くと関係するチョコ菓子界隈やそれに紐づくバレンタイン特需に期待をしている関係者は戦々恐々とし、猛烈な批判をもらい兼ねない。そこは承知の上でこのブログを書いている。というのも、そういった関連する方々にも利益となりえる話にするつもりだからだ。
- この機会にフォロワー、RTを獲得するネタ投下
- 純粋にドキドキしている
- 過去の回想
- 〇男の視点
- チョコをもらえるかどうか、ソワソワする。(まぁ楽しいうちなのだが、考えすぎると毒)
- この14日中、ならない携帯電話を確認する
- そのために、やけに悲しくなる
- 義理でももらえなかったときに、ありもしない男のプライドはくずれる
- 男から渡して告白できないような、風潮がある 〇女の視点
- 女から渡したかったのにー!!と言われた。
- 女はむしろ私が食べたい
- 告白する相手もいない悲しさ 〇事業主の視点
- 現状では、一部の人の習慣だけで、それ以外の潜在顧客を囲いこめていない
- 自分からチョコを買いたい男は購入をはばかられる。女は買いたいけど買う相手もないので店舗を素通り
ただ、私が認識する現状のバレンタインという習慣の問題点と同様の意見は散見された。ここからこれを打破できる、もしくは改変できるような施策を検討したい。 これが実現した時には、
①男子はもらえない恐怖から解放されて、あげてもいいという風潮を享受できる。
②女はあげなくてはいけない、(実は食べれない)かつ、恋愛の要素を帯びた贈り物のなので、時として勘違いされるなどの恐怖から解放されて、でも普段からの感謝や愛情など表現の自由が得られる。
③事業主はバレンタインに嫌悪感がある層へアプローチができ、新たな商品戦略が求められるが、まだ見ぬ、ブルーオーシャンの開拓とより一層のチョコ文化の定着に貢献できる。
ここがおそらく最初のハードルではないかと思う。つい先日ブラックサンダーチョコの広告展開がソーシャルを含めていろいろ展開された。 togetter【引用】確かに、潔い。というか、自社商品のブランディングにおいて、特徴を一方向に寄せて、そのポジション(義理チョコ)に寄せたのはすごいと思う。表とも裏とも出るからだ。ただ、バレンタイン用チョコという超レッドオーシャンで戦うよりかは、はるかにやりやすくなると思う。ただ、ここで議論したいのは、その恋愛のトーン(義理なのか本命なのか)さえもいったん、忘れて、キャンペーンやパッケージから恋愛色さえも消して、ただそこにあるチョコにするということ。と書くと、おいおい!それは、、と反論がありそうだが、日本にはお中元などのように、大切な人、世話になった人に感謝を届ける贈り物の文化がある。この要素と掛け合わせて、大切な人に贈る、現代版のファッション性を取り入れた「帯」で恋愛コンテキストから一度脱却した商品展開はどうだろうか。
街頭キャンペーンで全国キャラバン。これは相当パワーのかかる展開だが、上記のようなテイストを取りいれたチョコレートをあなたの大切な人に渡してください、のメッセージと共に展開。(このメッセージとかコピーは再考の必要あり)このチョコがふとしたときに、男性社員から男性上司へ、カップル同士が渡しあう、子供からお母さんへ、お父さんからおばちゃんへ。どんなベクトルでもいいようなコンテキストを含めたパッケージ、コピー、プロダクト(対高血圧とか対肥満商品といったニュアンス)を展開。なんかそれって幸せな雰囲気で、今日一日をステキに過ごせたね!という感覚を与える。
上記のような展開をソーシャルメディアで展開。ここの情報受信者がそうでない人より情報の感度や高い傾向がある(という調査結果を見た気がする)ため、彼らに早くその概念を訴求。男性には、コペルニクス的転回として「もらえなくとも女性から嫌われていない」「チョコをあげる表現方法がある」という概念を提供。そこに反応できるトレンドセッターに向けて情報を与える。
いや、要は私はもっとカジュアルにチョコをもらったり、あげたりしてもいいんじゃないかなぁと思っているのです。ちょっと稚拙な考えを書きすぎたかなぁ