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コミュニケーションにおける共有知識モデルについて、デザインの観点から考えていきます

50ヤードでの柔らかさ

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◆50ヤードなので柔らかさが重要だ<長尾真>

自分の思いを相手に伝える、というのは、結構難しいものです。
言葉で表現した途端、その他の思いはすべて捨てなければならないわけで、
結局、「なにも伝わらなかった」、ということはよくあるものです。

長尾真は、著書<「わかる」とは何か>の中で、以下のように語っています。

> 「50ヤードなので柔らかさが重要だ。」

> ゴルファーならば、この文面のニュアンスとその理由を説明・理解する
> ことは難しいことではない。しかし何故柔らかくしなければならないのか、
> 柔らかくとはどのようなことか、それは経験した人でなければわからない。

自分の世界で話しても、相手の知識にあわせて話してみても、
やはり、経験していないとわからないことは、世の中には多くあります。
同じ教本であっても、初心者と熟練者の理解は、まるで違いますね。

昔の本を引っ張りだして読み直すとき、以前は難解な表現で理解することが
できなかった事柄も、違和感なく理解することができる・・・。
このような経験に出会ったことはありませんか。

「柔らかさ」という言葉も、その人の経験レベルで捉え方が随分と変わります。
相手が「柔らかく打った」と主張するのであれば、それを「柔らかくはない」というのは誤りで、
むしろ、その打ち方で相手の経験レベルを知る、ということの方が重要だと思います。

この思いを捉えるにいい言葉があります。
「さも、ありなん」 (確かに、そういう捉え方も、あるかもしれない)
人間としての広いこころを持つ適切な言葉として、愛用しています。

清兵衛

*長尾 真: 元京都大学総長

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