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夏目房之介の「で?」

橋本治『熱血シュークリーム 橋本治少年マンガ読本』毎日新聞社

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橋本治『熱血シュークリーム 橋本治少年マンガ読本』毎日新聞社 2019
 前半部、「はじめに 少年マンガの特殊性」は、今のマンガ史観からすれば間違いが多く、「天才」ゆえに許される橋本治文体の飛躍と自己流の比喩のオンパレードなので、むちゃくちゃ面白いけど、色々突っ込みもしなくちゃいけない。でも、それを除く部分にやっぱり「すげーな、この時代にすでにこんなこと指摘してたんだ」っていう記述もそこここに発見する。
たとえば「少年マンガというものは、第二次大戦後の日本にしか存在しない」(本書p.31)とか、この時代(1982年)、僕も含むわれわれ世代がとらわれていたマンガ史観が疑われるのはほぼ2000年代。たしかに「少年誌」「少女誌」という雑誌文化を基盤に強固なジェンダー別ジャンルが成立し、それぞれ固有の「読者作者共同体」を戦後作り上げた、という意味では固有性はあるが「日本にしかない」という断定は乱暴で、今となってはほうぼうから批判される。でも、今の時点からの批判は簡単で、橋本文体の乱暴な断定を否定してもしょうがないところがある。
 というわけで、面白いけど疲れる、という読書体験を前半部味わうことになるのだが、同じ82年(大和書房『よくない文章ドク本』所収)の第三章「マンガのSFX(特殊効果)――基本編」あたりで、僕はギョギョッとなる。当時もしこれを読んでたとしたら、もうほとんど影響受けまくりだったに違いないからだ。じつは『熱血シュークリーム』を僕は読んでいないので、初出の文章を読んだかどうかさだかではないのだが、読んでいないといいきる根拠もない。「マンガのバックの効果線について書いてくれ」といわれて書いたエッセイだとあるが、まさに似たようなことを当時から考えていた僕は、のち90年代にそれを「マンガ表現論」というくくりで提起することになった。
 それにこの箇所以降、一般に数珠繋ぎになったイメージと直感の文章ゆえに引用ができないと思われる橋本文体にしては、キーワードとして抜き出せるところが頻出する。

「物事の本質はパロディにおいてより明らかになる」(p.207)
「耽美という言葉が出て来てしまったことでお分かりと思うが、実はマンガの"特撮"に関しては、今現在少女マンガの方が圧倒的にすぐれている」(p.214)
「表現の第一歩は、似たもの同士を結びつけることだから(ホントかよ?)」(p.222)
 ※この場合「ホントかよ?」も含めて理解しないと橋本文体は読み誤る)

 その後の90年代に至る文章は、マンガ単行本の解説など短いものも多いせいか、次第にわかりやすくなる。そして相変わらず天才的な直観による本質把握のようなキーワードが散らばめられている。まあ、それが橋本治の魅力なのだが、今でもこれだけ煽られるというのは凄いことだ。ちなみに解説は中条省平。

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