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夏目房之介の「で?」

山本陽子『絵巻の図像学 「絵そらごと」の表現と発想』

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山本陽子『絵巻の図像学 「絵そらごと」の表現と発想』(勉誠出版)を送っていただいた。
これは、とてもありがたい本である。まず、絵巻物のさまざまな問題の検証。第一部の「僧の声-絵巻の声の線の性格と起源について-」は、人間や動物から出る声と思われる線について、その種類、分類、変遷過程、そして声明の楽譜の線からの類推など、興味深い表現要素を、まるで推理小説のように解きながら追ってゆく。論文として、とても整っていて、うちの修士に、これをマネしてほしいと配ったほど。けして難しい言葉もカッコイイ言葉も使わず、でもきちんと結論を出す。
また絵巻の詞書とは別に、絵の中に文字が書かれるようになる画中詞の問題を追った論文は、絵と文の関係について考えさせてくれる。『鳥獣戯画』の弓を、進行方向の右から左へではなく、逆方向に描いたのはなぜかを考える文章も、視線と、絵を楽しむということを示唆する。山本氏の論文には、「絵そらごと」を楽しむことの快楽についての視線が、通低音のように響いている。
これらは、たしかに中世の美術史の問題のようだが、文中でときどき触れられるように、現代のマンガとも、表現の問題として通じる問題である。そういう観点で美術史をやってくれることは、やがてマンガ史論でも同じ問題を抽象度の高いところで論じるときに、すごく参考になるし、引いてこられる文献になっている。こういう仕事をしていただける美術史の研究は、ほんとうにありがたい。

第三部は、「絵巻とマンガ・現代絵画の発想」では、日本文化固有論の中でしばしば直接的に「源流」としてマンガ・アニメとつなげられて語られる絵巻とマンガを、そう簡単ではないと論じつつ、しかしやはりそこには美術領域としての共通性があると示唆する。「マンガ以前の日本絵画の時間と空間表現 -マンガとコマとの対比において-」では、僕の10年近く前の文章が引かれ、批判的に検証されている。たしかに、当時の僕は固有文化論の文脈から離脱するために断絶を強調しており、連続性への顧慮はあまりしていないし、何よりも美術史への知識もほとんどなかった。その後、江戸期における手品入門書のコマ割を発見したり、知見も広がり、現在では山本氏とほぼ同じ立場なので、ごもっとも、である。山本氏は、中世史専門だが、ここでは明治期の漫画やテプフェールを引いて、領域を広げて論じている。

江戸期のコマ割りについては、以前ブログで触れている。
http://blogs.itmedia.co.jp/natsume/2010/11/post-a68d.html
このとき、なぜここまで見事に展開していたコマ割りが使われなかったのかという設問をしているが、山本氏は「それが粋じゃなかったからだ」と仮説を述べている。

〈幕府の出版統制の下でひねりを利かせ、隠喩や暗喩を潜めた紙面から作者の意図をいかに解読できるかが醍醐味となっている中で、戯画の軽妙な場面展開を理解してもらうための説明としてコマ表現を使うなどということは、どう見ても粋ではない。〉(同書296p)

この仮説は、ひょっとしたら欧州における似た状況についても有効かもしれず、貴重な示唆であった。ただ学術書で、8000円というお値段なので、図書館で読まれる本かもしれない。

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