テレビゲーム理論(iPad、そしてニンテンドーDS、制限がある中で・・・)
今は高機能になったが、従来のテレビゲームはスペックが貧弱であるため、ゲームを開発するにあたり制限が大きかった。(ただしplayStation2あたりから高性能化してきた。)
・メモリーの制限
・処理スピードの制限
・キャラクターの大きさの制限
・操作ボタン数の制限
・画面の大きさと解像度の制限
多くの制限の中で、考え抜きその制限以上の感動を与えるゲームを制作していった。
現在の状況で、ソニーのPSPと任天堂のニンテンドーDSを比べてみよう。
スペックの高さはPSPに群が上がる。
しかし、国内累計販売台数はニンテンドーDSの方が圧倒的に多い。2010年5月第2週時点で、ニンテンドーDSはPSPの約2倍以上の3,000万台を超えている。参照サイト。
ソフトが売れるのはスペックの高さではないのである。スペックが劣る制限がある中でも良いもの(『使える』もの、『感動する』もの)が生まれている。
今まで新ゲーム機が作られるたびに高性能化してきたが、ニンテンドーDSはその路線を外した。そして2画面+タッチスクリーンを採用することにより、新しい顧客層を開拓できた。その結果、ニンテンドーDSはファミリーコンピュータ(ファミコン)以上のヒット商品になれたのである。
では、他のビジネスソフト、ソーシャルネットワーク、ホームページ、eラーニング、基幹ソフト等のソフトウェアはどうだろうか。
ファミコン、ニンテンドーDSなどのテレビゲーム機に比べると比較にならないほど制限が少ない。
メモリー容量、CPUクロック数、画面の広さ、画面解像度の高さ、ボタン(キー)の多さ、拡張性の高さ。。。
だからこそ、操作性が置き去りにされてきたのではないだろうか。高機能化されることで操作性がカバーされてきたことがある。
画面が大きく解像度が高くなるにつれ、画面表現力が高まり情報量が増える。そうすると画面への配置も雑になりやすく、使い勝手の最適化まで考えて画面設計されていないのではないだろうか。
例えば、受託開発の場合は使い勝手まで突き詰めなくても機能が入っていれば検収がもらえるとかよくある話である。
そして、操作性をスペックである程度カバーする方が開発費が安く済む。ということは、『処理スピード』はある程度考えるが、『気持ち良い操作性』まで考える費用的/時間的余裕が無いのだろう。
正確に動けば良いと妥協しているのではないだろうか。
だとしたらもったいない。スペックや機能だけでなく『使える』もの、『感動する』ものを作っていくことにより、利用者に親しまれ『使ってもらえるもの』になるのである。
そう。“機能”が入っていれば良いのではなく、“使って気持ち良い感覚”が必要になる。
そうすることにより、続けて使ってもらえる。
「それは”制限”がある中で生まれるのかもしれない。」
多大な人力を使って開発するのですから、使ってもらうことによって社会に貢献していきたいものである。
これだけiPadが話題になり予約受付終了までなってしまうのは、制限がある中で”使って気持ち良い感覚”をこだわり抜いた結果なのだと思う。
iPadはパソコンに比べるとスペック的制限が大きいが人を引き付ける魅力的な製品となっている。
Appleの商品ってワクワクしますよね。触りたくなりますよね。