【Book】核兵器もコンピュータも、ここから生まれた - 『チューリングの大聖堂』
期せずして、同じ時、同じ場所に、同じレベルの才を持つ者が集まると、想像を絶する出来事が起こることもある。
1953年、3つの技術革命が始まった。熱核兵器、プログラム内蔵型コンピュータ、そして、生命体が自らの命令をDNAの鎖にどのように保存するかの解明である。これら3つの革命は相互に絡み合い。その後の世界を大きく変えることとなる。
とりわけそれ以前から密接に結びついていたのが、熱核兵器とプログラム内蔵型コンピュータである。かつて数学と物理が相互に進化を促しあったように、両者はがっちりと手を組み、怪物のようなものをこの世に生み落としたのだ。
背景にあったのは、第二次世界大戦における反ナチスおよび、その後の冷戦構造による人材の集結である。アインシュタイン、オッペンハイマー、ゲーデル、チューリング、ファインマン。これらの錚々たるメンバーが、人種や学問の壁を越え、プリンストンの高等研究所を中心とする舞台で、一堂に会すことになるのだ。
その中でもひときわ異彩を放っていた数学者集団がいる。6人のメンバーによって開かれた、高等研究所の電子計算機プロジェクトにおける第一回目の会合は、その後のコンピュータの運命を導き、現在に至る約60年間のデジタル宇宙の扉を開くことになるのだ。
デジタル宇宙の創世記のような趣を持つ本書の魅力は、デジタル宇宙の誕生以前にそれを夢想していたものの姿、そして現実世界では特定することの難しい創造主の姿が露わにされているということである。
その創造主の一人がフォン・ノイマンだ。史上最強の天才、あまりの頭の良さに「火星人」「悪魔の頭脳」と言われた男。数学・物理学・工学・経済学・計算機科学・気象学・心理学・政治学とあらゆる分野で天才的な才能を発揮した。試しにネットで「フォン・ノイマン 伝説」などと打ち込んでみると、仰天エピソードがいくつも出てくる。
・6歳のとき、電話帳を使い8桁の割り算を暗算で計算することができた。
・8歳の時には『微積分法』をマスター、12歳の頃には『関数論』を読破した。ちなみに『関数論』は、大学の理工系の学生が1、2年次に学ぶ数学で、高校時代に数学が得意で鳴らした学生でも、完全に理解できる者は少ない。 ・一度見聞きしたら、決して忘れない写真のような記憶力。
・コンピュータ並みの計算速度。実際、ノイマンは、自らが発明したコンピュータとの競争に勝利し、「俺の次に頭の良い奴ができた」と喜んだ。
・水爆の効率概算のためにフェルミは大型計算尺で、ファインマンは卓上計算機で、ノイマンは天井を向いて暗算したが、ノイマンが最も速く正確な値を出した。
・脳内には装着された面積1ヘクタールほどもあるバーチャル ホワイトボードがあり、ノイマンは、紙と鉛筆を使わず、この脳キャンパスだけで、人間が及びもつかない複雑で込み入った思考をすることができた。
・アインシュタインやハイゼンベルクなどなど、稀代の天才たち全員が「自分たちの中で一番の天才はノイマンだ」と言った。(ノイマン自身はアインシュタインが一番だと言っていた)
・一日4時間の睡眠時間以外は常に思考。
・セクハラ魔で有名で秘書のスカートの中を覗くが趣味で、その振る舞い方は下品そのものだった。
・ノーベル経済学賞受賞者ポール・サミュエルソンの教科書をみて「ニュートン以前の数学ではないか」と言って笑った。
・ノーベル経済学賞受賞者ジョン・ナッシュのナッシュ均衡に関する歴史的論文を一瞬見て「くだらない、不動点定理の応用ではないか」と貶めた。
フォン・ノイマンの専門領域をあえて一つに絞るなら、数学を論理学の上に厳密な形で位置づけようとする「数学基礎論」という分野になるだろう。数学を論理学の中に包含してしようとするこの考え方は、形式主義とも呼ばれている。
この分野で最も知られた研究者が、ダーフィット・ヒルベルトであった。彼は数学全体の完全性と無矛盾性を示すために、数学そのものを形式化しようと考えたのである。
これに影響を受けたのが、チューリングマシンで有名なアラン・チューリング。彼は「計算可能性」という観点からこの問いを論じ、あらゆる計算を可能にする機械が作れることを証明した。これは数という世界において大きな転換点となる出来事であったのだ。
チューリング以前は、物事を行なって、それを数で表していた。だがチューリング以降は、数が物事を行うようになったのである。そして、このチューリングマシンの理論を、現実の装置として創りあげたのがフォン・ノイマンであった。
フォン・ノイマンの最大の特徴は、形式の権化のような人物であったということである。それは彼の守備範囲が多岐にわたるということとも、密接に結びついている。彼の本質が内容ではなく形式にあったからこそ、意味や目的を問わない一面があったのだ。
それゆえの熱核兵器であった。水爆製造競争は、コンピュータを作りあげたいというフォン・ノイマンの願望によって加速され、同時に水爆製造競争が、フォン・ノイマンのコンピュータを完成させろという圧力を一層強めたのである。
一方で自身の手によってもたらされた結果を、フォン・ノイマンがどのように受け止めていたのかという点も興味深い。これを回想しているのが、リチャード・ファインマンである。
フォン・ノイマンから面白いことを教わった。『自分が存在している世界に対して、責任を負う必要はない。』というアドバイスだ。このアドバイスのおかげで、わたしは非常に強い社会的無責任感というものを持つようになった。それ以来わたしは、幸せきわまりない男となった。
かくしてデジタル宇宙と水素爆弾は誕生したのだ。最も破壊的なものと最も建設的なものが、それを追求した男の必要性と偏執狂的な熱意によって同時に登場するとは、なんという運命のいたずらだろうか。
本書ではこの他にも、フォン・ノイマンのコンピュータでどのようなものが計算されたのかということが事細かに描かれている。数値気象予測実現を目指す取り組み、バリチェリの数値生命体の研究、今日のサーチエンジンやソーシャル・ネットワークの原型となるようなものも、フォン・ノイマンの業績に確認することができる。
宇宙生誕の時から今日まで、およそ137億年。その歴史の全貌を詳細に把握することは、あまりにも困難である。だが、本書を読むにつれ感じたのは、約60年に過ぎないデジタル世界の歴史が、宇宙の歴史そのものを自己複製したようなものではないかということだ。
自己複製を行う過程においては様々な偶然性が入り込み、歴史は予測もつかない方向へと進化を遂げたことだろう。ゆえに我々の宇宙も、デジタル宇宙も、この先の行く末は全く分からない。それでも歴史が枝分かれすることになった分節点からは、決して逃れることが出来ないのである。
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