【書評】『三池炭鉱「月の記憶」』:与論の月
♪月が出たでた、月がでた あよいよい
三池炭鉱の上にでた
あんまり煙突が高いので
さぞやお月さん 煙たかろ さのよいよい
おなじみ炭坑節の一節である。夏も真っ盛り、盆踊りの会場などで耳にすることも多いのではないだろうか。この炭坑節、そもそもは三池炭鉱の鉱夫たちによって歌われたのが、その成り立ちである。
三池炭鉱は、福岡と熊本にまたがる地域に広がり、かつて日本最大の炭鉱であった。多いときには、日本の石炭の二割を掘り出していたという。この三池炭鉱から全国へと広まった炭坑節、その歌詞に出てくる「お月さん」と「煙突」が、はたして何を意味するものなのか、それが本書のテーマである。
著者は熊本放送のディレクター。過去にハンセン病患者の差別を取り上げたドキュメンタリー番組などを、数多く制作している人物でもある。著者は、この炭坑節にこめられた歌詞の意味を、鉱夫たちの間に存在した差別の中に見出し、その構造を次々と解き明かしていく。そしてその着眼は、炭鉱労働者のなかでも最下層の労働者として辛酸をなめた与論島の人々へと向かう。
三池炭鉱の歴史は、負の部分を併せ持つ。その歴史の始まりは、囚人労働である。やがて囚人の使役が人道に反するという風潮が高まると、その担い手は一般の鉱夫へと切り替わる。ここでターゲットにされたのが与論島の人々である。明治31年に与論島を襲った空前の台風は、その後の未曾有の飢饉へとつながり、彼らには帰る場所がなかったのである。彼らは、従順で勤勉な労働者であった。しかし、頭にものを載せて運んだり、島言葉を使ったりすることで、地元の人からは差別的な目で見られていたという。
彼らがなぜ差別されたのか知るためには、明治維新のころまでさかのぼらなければならない。脱亜入欧の思想のもと、明治政府は太陰暦から太陽暦へと改暦を行った。しかし、与論などの南西諸島は「旧慣保存」という措置がとられ、この制度から除外された。これが、巧妙なトリックなのだ。その実態は、旧慣保存をしてよい代わりに、彼らには本土と同じような近代化された権利を与えないということである。政府は安定を図るために、あえて差別的な秩序を作ったというのだ。
そして与論島の人々が、差別と引き換えに守ってきた文化はどのようなものか、それが後半のクライマックスである。それは与論の人々の歴史の足跡が、月夜の明かりで照らされるように厳かに描写されており、思わず息をのむ。
代表的なものの一つが洗骨というものである。意外なことに、日本の法律では土葬を禁じていない。与論島では人が亡くなると土葬か火葬かを選択することができるという。土葬の場合は、亡くなって五年から七年かけて亡骸を掘り起こし、骨の一本一本を丁寧に洗い清められる。これが洗骨だ。著者は何年もかけて与論島に足を運び、ついに洗骨の模様を取材することに成功する。
また月の満ち欠けをもとにした太陰暦が、彼らの暮らしの中で今もなお息づいているのも特徴的だ。漁を生業とする人たちだけでなく、島に暮らす人達の多くは、月を見ることで日にちや時間を把握することができる。また、月の引力による潮の満ち引きは、魚や貝を獲ったり浜で遊んだりするにとどまらず、人の生死や祭礼行事にいたるまで深く関わっている。彼らにとって月は、生活そのものなのである。
本書はそもそも、炭坑節に出てくる「お月さん」は、与論島出身の炭鉱労働者がモデルなのではないかという仮説を立てたところからスタートしたそうだ。その仮説を裏付ける証拠を見出すには至らなかったが、煙突を「大陸に進出しようとする日本の姿」、煙たがるお月さんを「その陰で犠牲を強いられた人たち」と見立てることで、日本の近代化のあり方そのものに疑問を投げかけている。その論点は、新たなエネルギーの問題に直面している今だからこそ、多くの人に届けるべきものではないかと感じる。
本書を読了した後、今一度「炭坑節」を聞いて、その印象の違いを確かめてほしい。こんなにも、哀愁の漂う歌だったのかと、驚きを覚えるはずである。
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