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【書評】『最強国の条件』:寛容さと絆

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講談社 / 単行本 / 454ページ / 2011-05-11
ISBN/EAN: 9784062153942

人類の歴史上、さまざまな国が栄枯盛衰を繰り返してきた。時代を謳歌した一国の時の流れには、さまざまなドラマがひしめきあっており、それだけで十分に面白いものである。しかし、本書の着眼点は一味違う。「最強国」と呼ばれる歴史的現象のみを抽出し、それを俯瞰で見ながらメカニズムを分析しているのである。著者は、イェール大学のロースクール教授。現在のアメリカに代表されるような「最強国」が成立する条件とは、果たしていかなるものであるだろうか?

◆本書の目次
序章 一極優位を可能にするもの

第一部 前近代の最強国
第1章 最初の「最強国」
第2章 ローマ帝国における寛容
第3章 中華帝国の絶頂期
第4章 大モンゴル帝国

第二部 近代の最強国
第5章 不寛容の代償
第6章 小国オランダが築いた世界帝国
第7章 東洋における寛容と非寛容
第8章 イギリスとその帝国

第三部 近現代そして未来の最強国
第 9章 アメリカ
第10章 枢軸の蹉跌
第11章 中国、EU、そしてインド
第12章 歴史の教訓
 

本書における「最強国」とは、軍事的、経済的な優位が突出しているあまり、世界を事実上支配するにいたった社会、国家のことである。例えばアメリカなどの場合、米ソ冷戦時代は含まず、ソ連崩壊後の状態のみを指すということになっている。

こうした最強国が成立する条件として、著者は「寛容さ」というものに注目している。すなわち、「ある国家の支配領域において多様な人種的、宗教的、言語的集団や、それらに属する個人が共存し、それぞれが社会参加をし、さらに誰もが社会的上昇を遂げられる」ということである。

例えば、ローマ帝国などはその典型である。ローマに征服された王国で、それまで公職に就いていた者は、人種の別なく、当然のこととしてローマ市民権を与えられたという。これによってローマは科学でも文学でも芸術でも1000年間にわたり、凌駕されることがなかったのである。

一方で、滅亡のメカニズムにおいては、不寛容さがポイントになっている。これが「寛容さ」のなれの果てとして引き起こされているから面白い。行き過ぎた多様性が不寛容さを生み出し、自らを滅ぼしていく。ペルシャ~ローマ、唐~元、イギリス~アメリカまで、古代、中世、近代、いずれの時代においても、洋の東西を問わず「寛容さ」の動的平衡が繰り返され、主役の座が移り変わっていく。その検証プロセスは、実に鮮やかである。

注目すべきは、十七世紀のオランダに言及しているところだ。一般的に大国としての印象がない当時のオランダではあるが、内政の寛容性によって欧州における被差別民が一気に流入した時代がある。この結果、「十七世紀思想の三つの輝き」と言われるルネ・デカルト、バルーク・スピノザ、ジョン・ロックの三人はみなオランダで一時生活をし、歴史的な著作を残している。そこに海軍力が加わり、オランダは輝かしい繁栄を実現することとなったのである。

また、日本に関する記述にも、興味深いものがある。非寛容さの事例として登場する大日本帝国だが、占領地の中でも台湾にだけは、その統治に寛容さを見せていたという。今日において日本文化に慣れ親しんでいる台湾人が比較的多い所以は、こんなところにも表れている。

本書を読むと、日本人の寛容さは今後どうあるべきなのかについて考えさせられる。おそらく、それは日本人の過去、これまで自分たちが歩んできた歴史に対して「内なる寛容さ」を持つということではないだろうか。そこに、日本が再び強さを取り戻すためのヒントが隠されているような気がする。

ユニークな着眼点、抽出する事例のバランスの良さ、丁寧な分析、明快な論旨。どれをとっても一級品の一冊である。

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