【書評】『サムライブルーの料理人』:厨房でのワールドカップ
世界最高峰の舞台と言われるサッカーW杯。南アフリカ大会における日本代表ベスト16入りの快挙は記憶に新しいが、その躍進を「食」の面から支えたのが、本書の著者・西 芳照氏である。本書は、ジーコ、オシム、岡田、ザッケローニの時代まで、七年間にわたってサッカー日本代表の海外遠征シェフを勤めている男の奮戦記である。
国と国の威信をかけた戦いとなれば、その裏側も壮絶である。衛生管理、食事づくりの手際、現地スタッフとの協力体制、食事会場設定、食材の手配、周到に準備しても想像がつかないことの連続である。例えば、試合のたびにアウェイの洗礼を受けた重慶でのアジアカップの時のこと。厨房がせまく、ホテル内のレストランとの共有だったためスタッフがひしめき合い、裏側でもアウェイ戦を強いられていたそうだ。また、イランのような異文化環境では、イスラム教徒の断食月と試合が重なり、市場が食材の手配が難航したこともあったという。
本書を読んで改めて痛感するのが、食事とコミュニケーションの関わりの深さである。ワールドカップの遠征は事前合宿もふくめると約一カ月。ホテルから外に出られる機会も少なく、緊張感の続く毎日だ。そのため、食事会場での空気は、チームの状態を大きく左右することもある。実際にドイツ大会の時は、スタメン選手とサブ選手は、それぞれが別々のテーブルに固まっており、壁を感じることもあったそうだ。
西氏が食事会場を盛り上げるために編み出したのが「ライブ・クッキング」である。選手たちの目の前で、彼らの注文を聞いてからパスタやうどんをゆでたり、肉を焼いたりするものだ。調理自体をエンタテイメントとして楽しんでもらえるほか、選手との交流の場としても有効に機能したそうである。
直近の南アフリカ大会では、チーム全体として高地順化が大きなテーマであった。もちろん食の面でも同様である。そのため、「鉄分補充」「糖質補給」「抗酸化物質の摂取」ということを念頭に入れて、メニューが考案されたそうだ。その際の具体的なメニューも、本書に掲載されている。しかし、一番の問題は、おいしいごはんが炊けるか?ということであった。標高の高い地域では、気圧が下がるため沸点も低くなり、炊いたごはんの食感が悪くなってしまうのだ。
そこで活躍したのが圧力鍋。圧力鍋は標高で沸点が左右されないため、ふんわり、しっとり、ねっとりした「正しい日本のごはん」を炊くことができたそうだ。日本代表の活躍の要因は、意外にこんなところに潜んでいたのかもしれない。
「世界を驚かすサッカー」、そんな標語を掲げて勝ち進んだ日本代表。その裏側にある「勝つための食事学」には、日本人でも驚かされることが多いだろう。
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