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【書評】『飢餓浄土』:生への渇望

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著者: 石井 光太
河出書房新社 / 単行本 / 288ページ / 2011-03-11
ISBN/EAN: 9784309020280

気鋭のノンフィクションライター・石井光太氏の新刊。貧困国、途上国のリアルな実像をどこまでも露わにし、そのセンセーショナルな描写に好き嫌いの分かれることも多い作家である。本書はその中でも、若干マイルドなテイストに分類されるのではないだろうか。テーマは「小さな神様」、新興国を中心に
世界各国を周り、その土地の人々の生活と、彼らが信じる土着の精霊信仰を描き出す短編集である。

◆本書の目次
第一章:残留日本兵の亡霊
敗残兵の森/幽霊船/死ぬことのない兵士/神隠し

第二章:性臭が放つ幻
せんずり幻想/ボルネオ島の嬰児/あさき夢みし/胎児の寺

第三章:棄てられし者の嘆き
奇形児の谷/横恋慕/魔女の里/けがれ/物乞い万華鏡

第四章:戦地にたちこめる空言
戦場のお守り/餌/歌う魚
太平洋戦争の折、日本によって占領された地域の人々には、反日感情を持つ人が多いと言われる。確かに国家という単位で考えればそれは事実だろう。しかし、その土地の一人一人の視点で考えると、目の前の日々を生きることに必死なのも現実だ。全員が「日本憎し」と四六時中考えているはずもない。だが、だからと言ってすべてが消えているわけではない。日本への複雑な感情は、その土地の流言や幻想となって、無意識のレベルにまで浸透しているケースも多い。フィリピンの密林にあらわれる人食い日本兵、インドネシア沖で目撃される日本軍の幽霊船、ミャンマーで語り継がれる不死身の日本兵など、数々の幻が今もなお生きている。

次に貧困について、これも社会的な文脈で語られることの多いテーマである。貧困と聞くとすぐに食料を思い浮かべるかもしれないが、それも記号的な物の見方であり、こちら側の理屈に過ぎない。彼らにも性欲はあり、プライドもあり、そしてお腹を満たすことより大切な「生きるよすが」があるはずなのだ。それを著者は「小さな神様」と呼び、その信仰を持つことの強さと弱さを見出す。
ペニスが大きくなれば女にモテると信じてココナッツの汁を仲間うちで注射するタイの少年達、奇形児を谷底に繰り返し突き落とした産婆を襲う祟り、ルワンダの虐殺地で人間の死体を食い漁り生き延びた野犬。これらの幻のような「小さな神様」は、信仰する当人を映しだす鏡のようなものでもあるのだ。

個人としての戦争、個人としての貧困は、想像以上に多様でグロテスクである。それを科学的思考の欠如と言ってしまえばそれまでだが、この「小さな神様」こそが、信仰する当人たちの生きる証でもある。それが不思議と爽やかな読後感を生み出し、いくばくか救われた気持ちになる。
 
本書の発売日は奇しくも3月11日。そして著者は今、震災の被災地へ行っているそうだ。著者のブログより一部引用。

今日、ある被災地に行ったら、倒壊した町に被災者が袋を持って集まっていた。
明日、この村にブルドーザーが入ってすべてを片付けてしまうのだという。
被災者たちは、その前までになんとか思い出の品を見つけ出してひとつでも持っていこうと、避難所から何時間もかけて歩いてやってきて、見渡す限りの瓦礫の山の中から自分のものを必死に探しているのである。
夕方になると、年老いた被災者が、周囲にいた作業員に「死んだ息子や孫との思い出の品がまだ見つからない。明日の撤去作業の際は、うちだけはそのままにしてくれないか。明日も探したいから」と訴えていた。その目は涙ぐんでいた。


ここでも「小さな神様」の存在が描かれている。個人としての震災も、あまりにも痛ましく、切ない出来事。被災地以外での騒動など、ママゴトのように思えてくる。


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