【書評】『まぼろし闇市へ、ふたたび 続東京裏路地<懐>食紀行』:昭和のクラウド化
»
著者:
単行本(ソフトカバー) / 285ページ / 2008-04-24
/ ISBN/EAN: 9784813020752
戦後の食糧や物資が不足した時代に、混乱に乗じて成立したブラックマーケット、それが闇市だ。そんな闇市で大食い労働者は胃袋を満たし、そして労働者達を目当てにした赤線が蔓延り、「地獄」の名の付く荒ぶる街へと変貌していった横丁も多い。世紀は変わり、もはや闇市など無くなったのかと思いきや、日本全国にはまだまだ闇市横丁が残存している。本書はそんな残存闇市横丁を探して、西へ東へ。そこで見つけた戦後遺跡食の数々を紹介した、古くて新しい食紀行である。
「ヘイ」という著者のご機嫌な掛け声で始まるグルメレポートの数々は、店主との掛け合いも調味料である。街の風情、年季の入った鍋、閉店を知らせる貼り紙、怪味と渾沌の食の世界、随分と贅沢な貧乏飯である。
◆本書で紹介されている戦後遺跡食の一例
・鴬谷 鴬谷公園横「スナック 一」の”すいとん”鉄鍋にドカッと山盛りのメリケン粉団子。時間が経てば経つほどふくらんで腹にたまる。中華風と和風の味噌味、正油味がある。
・東十条 駅北口「とん八」の”からし焼き”赤唐辛子・ニンニク・豚バラ肉・豆腐の強烈四重奏。大量の豆腐の下に大量の豚肉が盛られている。
・中野 駅南口「いちふじ」の”とんもつスープ”一口含めば体内に一気に広がる強壮ニンニクパワー。ちぎられたお豆腐をかき分ければ肉厚な豚モツが大量に現れる。
・吉祥寺 ハモニカ横丁「美舟」の”キラス料理”お魚を酢を混ぜてオカラで巻いた奇蹟の残存戦後食。オカラのカッパ巻き「野菜キラス」も哀愁がにじみ出ている。
・横浜 リバーサイド屋台街「菊水」の”魚すじ”原料は謎。お店の人も「ウチだけしか、だしとらんから」と教えてくれない。おそらくサメが主原料。値段は酒代と合体のドンブリ勘定。
・大阪 大阪城公園近く「ふみちゃん」の”すじポッカ”「ポッカ」とは炒めモン。つまり牛すじ炒め。牛すじはすっかり高級食材。その高級食材をバクバク食べられる。
・仙台 壱弐参横丁「ツルヤ」の”メヌケのアラ”本体はさぞや立派なメヌケ(赤魚鯛)。しかし通は身よりアラを好む。料理屋の歴史が刻まれた絶妙の味付け。
そして、グルメレポートの合間にひっそりと挟まる冷静なルポも、実にいい味を出している。日本全国のあちこちにあるションベン横丁。その由来は安普請が密集して共同便所の整備もままならず、酔客たちが線路わきの道にジャージャーたれ流したことに始まるという。しかし、いまや高級背広の御大尽や見目麗しき御夫人も来店するようになり、どこもかしこも立派な共同水洗便所になってしまった。
しかし、仙台・東一センターの手洗いは一味違う。東京で言えば銀座に位置するような仙台の中心地にある、ここの共同便所は男女共同。男子用は仕切りなしの、壁面かけ流し。女子用個室との仕切りは、かろうじてのアルミドア一枚。さらに、頭上にある水槽の鎖を引くと水が流れる旧式水洗であるそうだ。戦後闇市から仙台市の歴史をすべて眺めてきた東一センターこそ、由緒正しきションベン横丁なのである。
これらの残存闇市横丁の存在が表しているのは、いったい何なのか?それは、「昭和のクラウド化」ということではないだろうか。かつて誰もが所有していた「昭和」は「利用」の時代へ。コストはチープに、そして時間が蓄積されていく。リアルタイムな「こちら側」とノスタルジーな「あちら側」。しかしこのクラウド、残念ながらマテリアルで構成されており、有限なシロモノなのである。再開発という波や、新しいノスタルジーが押し寄せ、消えゆく時を迎えようとしている店も多いという。
懐かしさが消えることを無責任に惜しむことは簡単である。しかし「こちら側」にとっては非日常なノスタルジーであっても、「あちら側」にとっては、リアルタイムな日常なのである。そこでの暮らしが消える切実さに耳を傾けること、それこそが最も求められている在りようなのではないだろうか。
SpecialPR