【書評】『サウンド・コントロール』:音で思考する
»
著者:
単行本 / 252ページ / 2011-03-23
/ ISBN/EAN: 9784046532398
耳の機能は、目と比べると無防備なものである。いつだって「声」は、気付きに先だってやってくる。意識的に立ち切らないと、価値観や正義、善悪、自由と思っている自分自身の判断にまで、号令をくだしてしまうこともあるという。それがサウンド・コントロールである。いつの時代も民衆の絶大な支持を集めたのが、「声」の支配によるものであったことは歴史が証明している。カエサル、ナポレオン、ヒトラー。
本書はそんな「声」の権力構造を、フィールドワークによる観察と、音楽的思考によって解き明かした一冊。著者は「行動する音楽家」として名高い、伊藤 乾氏。大学時代に物理学を専攻した後に、指揮者へと転身という変わったキャリアの持ち主である。
◆本書の目次
第1部 南へ 一九九四/二〇〇七年、ルワンダ 草の上の合議第1章 サバンナの裁判員第2章 雨のガチャチャ
第2部 西へ 司教座と法廷 ローマからギリシャへ第3章 ガリレオのメトロノーム第4章 官僚アンブロジウスの遠謀第5章 王座は蜂を駆逐する
第3部 東へ 白い砂の沈黙 日出づる国の審判で第6章 石山本願寺能舞台縁起第7章 銀閣、二つのサイレンサー第8章 裁きの庭と「声」の装置
第4部 北へ メディア被爆の罠を外せ! サウンド・コントロールと僕たちの未来第9章 確定の夜を超えて
「サウンドコントロール」によって引き起こされた近年最大の悲劇は、ルワンダのジェノサイド(虐殺)である。ラジオの音楽番組によって煽りたてられたフツ族が、かつての支配層トゥチ族を「ルワンダに巣食うゴキブリ」と称し、祭祀の興奮状態のうちに虐殺を行った。100日ほどの間に80万とも130万とも言われる人が、鉈やハンマーなどの凶器によって命を落とした。まさに、「人民の人民による人民を対象として大虐殺」である。
著者は、ジェノサイド事犯を裁く伝統法廷「ガチャチャ」の現場に出向く。元来文字を持たず、高度なオーラルカルチャーを持つルワンダでは、裁判のやり取りも口頭ベースで進んでいく。論理的に覚つかず、まるでちぐはぐなやり取りを目にし、文字を持たなかった時代の「裁判」のあり方に思いを巡らせる。そこから、著者の長い旅が始まる。
◆本書で紹介されている「声」の権力構造の一例
・ミラノの聖アンブロジウス大聖堂聖アンブロジウス大聖堂は、バジリカの中心に「司教座=トリビューン」が置かれている。比較的背の低い、石造りの天井を持つ「司教座」は何を意味するのか?石造りの「司教座」は固有の共鳴空間を持っている。その内部に立ち、低い天井に向かって発される大きな声は、他の人物の発言を排除して、ただ一人「大きな声」としてバジリカ建築物の中にろうろうと響く。一方で、バジリカ聖堂の中央、身廊部に立ち、祈りの言葉を発してみるとあらゆる言葉は聖堂の高すぎる天井に吸いこまれ、まったく響かないのを体感する。市民裁判員たちの声は「その他大勢」の雑音として排除され、特権的な聖座から響き渡る、大きく正しい声がすべてを覆い尽くしてしまう。
・長崎奉行所お白州と奉行の御座所との間は、一種の巨大な「縁側」になっている。この縁側は二段に段差がつけられており、左右は漆喰と木の壁で囲まれている。奉行の声はこの漆喰と木で作られた大きな空間を通り、縁側全体が一種の共鳴箱、つまりマイクやスピーカーの役割を果たしているわけだ。奉行の声は、「有無を言わさぬ威圧感を持った声」として響くように設計されているのだ。一方で玉砂利の「白洲」は音を吸収するサイレンサーだ。白洲の場に立たされた時点で咎人はもちろん訴人すら発する声からエコーが剥ぎ取られている。
その他の場所も何箇所か訪ねているのだが、著者が最も注目していたのは、この二ヶ所ではないだろうか。それは、著者自身が地下鉄サリン事件の豊田被告と大学時代の同級生であったことと無縁ではあるまい。人の生死を懸けた判決が、どのような非対称な場で定められたのか追体験したい、そんな強い思いが伝わってくる。
興味の対象を、専門性を持つ視点から観察し、総譜のテキストを編み出す。奇跡のような一冊である。
SpecialPR