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ライフワークとしての学びを考えます。

いじめは、いじめていることに気がついていないことが多い そして、いじめられている側も気がついていないことがある

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友人がカナダに移住するというので、お招きしてお別れパーティをしたことがあります。 
そのとき、他のメンバーが、宴会の笑い話のつもりで、学生時代の「いたずら」や「悪ふざけ」についてそれぞれ披露し始めました。
 
ある人のは男子校の全寮制だったので強烈でした。シャワーをしている同級生のシャワールームに隣から牛乳をかけるといういたずら。シャワーの水音がしているときだけ牛乳をかけ、水音が止まったら牛乳をかけるのをとめるのだそうです。その様子を面白おかしく語って場が盛り上がりました。よくある学生時代の悪ふざけの一種なのかもしれませんが、カナダに行く友人が怒り出しました。
 
「それっていじめじゃない!ひどい!」
 
ものすごい剣幕で怒っている様子に、全員しゅんとなってしまいました。
 
彼女も、もしかしたら「いじめ」の経験があったのかもしれないと思いました。
 
性格的に「いじられやすい」という人はいます。
それは大抵、かわいげがあったり、愛嬌があったり、おおらかな人、優しくて怒らない人が多いですね。やはり、何か言ったらすぐに怒りそうな人、仕返しされそうな人に面白いことをしようとは思いませんものね。「いじられる」というのは人気のバロメーターである場合もあります。私は最近、自分の場合は無視されるよりは「いじられてナンボ」と思っているところがあるので、一緒に楽しむようにしています。
 
でも、、周囲は「この人なら言っても大丈夫」「何かしても怒らない」と思っていても、人によっては大変なプレッシャーを感じている場合もあります。
その気持ちも、とてもよく分かるのです。
 
学校やコミュニティで、いじめにあっている人が声をあげると、周囲が「そんなつもりはなかった」「楽しくやっていると思っていた」「雑談で言っただけなのに深刻にとらないでほしい」と驚くケースを結構みてきました。
いじめている側にはいじめている意識がない場合がとても多いのです。
 
そして、いじめられている側。
これも、実は「原因が自分にある」と思い、辛いのを我慢していたり、または「なんだかおかしい、辛い」と思うけれど、性善説を信じて「でも本当は皆良い人なんだ」「あのとき優しくしてくれたし」と解釈して、逃げられないでいる。
そして、あるとき第三者の立場から「それは良くない。辛いなら辛いと正直に声をあげたほうがいいよ」と言われはじめて自分が気がつく、ということもあるのです。
 
意識的に行う悪質ないじめとはまた別に、無意識の領域で起こるいじめというものがあると私は思います。それはいじめる方といじめられるほう両方に当てはまります。
 
人には無意識の領域で起こる「エゴ」や「コンプレックス」というものがあり、想像以上に複雑であるということを考えさせられます。
 
そして、最近は、いじめにあったと思っても「転校してもいい」「休んでもいい」という風潮で、以前のように「辛いかもしれないけど頑張っていきなさい」とはならない傾向にあります。
 
私は、もし辛いと思ったら、正直に辛いと声をあげていいのだと思います。
そして、もしどうしても辛ければ、大変かもしれませんが、逃げることが可能ならば、一時期でもいいから自分を休めることも必要だと思っています。

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