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ライフワークとしての学びを考えます。

「音は体で聴く」 エヴェリン・グレニー奇跡のパーカッション

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レンタルモップの会社から毎月交換に来てくれていた営業の人、イトウさんはドラマーでした。
ある日イトウさんは、モップの柄を使って壁や床を叩いてくれました。音程がないのに旋律が聴こえてきて、空間が豊かに息づき始めたのです。楽器でもない床や壁が立派な楽器に感じられました。
 
エヴェリン・グレニー「聴き方について語る」TEDでの講演を見たら、ふとイトウさんのことを思い出してしまいました。
 
グレニーさんは、マリンバと各種パーカッションを演奏します。 いままでにグラミー賞を2度受賞。しかし、彼女は聴覚障害で耳が聞こえません。
 
聴くことができない彼女は、5感を使って体全体で音を聴いています。

画面から少し見えにくいのですが、ステージに出てきたグレニーさんは、しゃべりながら靴を脱いでいます。彼女はコンサートで靴を履きません。足の裏さえも使って音を感じるからです。
 
最初のレッスンで、スティックを持ち万全の状態だったのを、先生はスティックなしでドラムだけを持ち帰って練習させたといいます。素手でいろいろなところを叩いて、手がアザだらけになりながら音を感じることから始めたそうです。
「もし基礎を教えられていたら、体が硬直して上手く叩けなかった。素晴らしい経験だった」と言います。
だから、基礎である教本を学ぶことに関して「曲を弾きたい。表現したいだけ。音楽で語ることとどう関わるのか?曲と通いあうのになぜ教本が必要か?」と疑問を感じたそうです。
 
グレニーさんの講演で印象的だったのは、マリンバを演奏しながら、聴衆に対して「聴こえます?」とたずねたところです。
聴衆の「・・・?」という反応に「そのとおり。触っていませんから」。聴衆は爆笑していましたが、私は全く笑えませんでした。彼女の手を見ていると、まるでマリンバから微かな音が聴こえているように感じたからです。これこそ演奏の本質だと思ったからです。これができない演奏家のいかに多いことか。
 
「木のゆれるのを見て、葉擦れの音を想像するのと一緒。何かを見るとそこには音がある。」
 
グレニーさんは、「手で雷の音を現してください」「それでは雪は?」「雨の音は?」と聴衆に手で表現することをさせます。すると聴衆は、雷のときは激しく、雪のときはほぼ無音、雨のときはパラパラと拍手します。
子どもたちにも同じことをさせたら、「どうしよう?」と考えて、床を叩いたり体の部分を叩いたりして雨のや雪の音を表現したそうです。
そして彼女が床を叩くと、本当に生き生きと雨の音が聴こえてきました。

楽器を前にすると「楽器をいかに弾きこなそうか」という自分がいます。そうではないのです。楽器はイマジネーションを表現するためのもの。より表現しやすい楽器があったらそれを使えばいい。それだけです。
 
「音は全て耳を通す。これが音楽の感じ方だと思っているのは違います。音を感じるときは、”考える”んです。」と言います。
 
グレニーさんにとって、音は体や心全てで聴くもので、耳から聴こえたものを再現しているわけではありません。独特の感性で解釈した音が、豊かな意味を持って表現されてくるというわけですね。

グレニーさんの演奏は、感性や心を通した自然な音が紡ぎだされます。その音につつみ込まれると、突如誰もいない森の中に椅子を一つ置いてそこに座っている自分がいるような気持ちになります。風の音、木の葉が擦れる音、渓流の水音、鳥の鳴き声・・・。人間の感性には無限の可能性があるのだと思わずにはいられません。

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