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会員制メルマガfoomiiで「ニュースを解く読書」を発行しています。本ブログはその一部をリリースしたり、筆者が取材であった雑感などを書く「別館」です。新刊書評のメルマガやサイトは無数にありますが、当メルマガは既存のニュースを深掘りするための書評。1つのニュースを深く理解するためには、ウェブや新聞よりも本のほうが効率がよいことがあるからです。また、筆者の取材こぼれ話や雑感も適宜出していきます。

「2011.03.11 核と暮らす日々」

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 森 健の『ニュースを解く読書』
     --- Dive Into Books with News ---  2011/03/17 vol.14

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<< CONTENTS >>
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【1】今週のテーマ >> 「2011.03.11 核と暮らす日々」
【2】今週の1冊    >>『楽しい終末』池澤夏樹
  <書名・著者・出版社・定価・amazonリンク>
  <版元による「内容紹介」の引用>
  <目次>
  <要約>
【3】解説と雑感 >>
【4】おまけ
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【1】今週のテーマ 「2011.03.11 核と暮らす日々」
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 それが来たのは、東芝の取材を終えて浜松町の貿易センタービル内を歩い
ているところだった。次のアポイントまで1時間15分。遅いご飯でも食べよ
うかとビル内の文教堂書店でも入ろうと思ったところで、揺れが来た。

 誰もが思うように、私も最初はめまいかと思った。だが、次の瞬間には音
を立てるような揺れがあり、あちこちで声があがり、1Fの出口へと急いだ。
出口付近は付近のサラリーマンが次々と出てきてあふれんばかりになってい
た。
 その後、アポイントのために築地の朝日新聞社に歩いていったが、すでに
道々はサラリーマンの人たち。16時に元朝日OBで国際基督教大学の佐柄木
俊郎客員教授と会うと、佐柄木氏も日比谷から歩いてきたとのことだった。

 45分ほど打ち合わせをし、屋外に出ると、築地市場駅の出口におばさんた
ちがいた。聞けば、すべての地下鉄、すべての電車が停止中とのこと。それ
を聞いて覚悟を決め、駒沢の家まで歩いて帰ることにした。
 新橋の駅では汐留に至るほどの長蛇の列。渋谷行きのバスとのことで「3
時間はかかるかしら」とおばさんに言われた。外堀通りからアメリカ大使館
の脇を通り、六本木へ。徒歩1時間でちょうど六本木一丁目あたりだった。
歩道はすべて家路へ急ぐ人たちでぎっしりと満たされ、車道は大混雑。とき
どきその列の間を救急車が走り、緊張を煽る。携帯でしゃべっている人も時
々いるが、自分の電話はまるでつながらない。

 築地からの2時間半は早走りのような状態だったが、歩きながら「まるで
東海地震の予行練習のようだな」などと、いまから思えば間抜けなことを考
えていた。ほんとうに東海地震が起きても、これくらいの程度なら大丈夫な
んじゃないか。そんなことまで思ったほどだ。
 遠い北の地で起きていることにまったく気づいていなかったからだ

 21世紀という新世紀のはじまり、2001年の変化を感じたのは2001年9
月11日のことだった。あれから10年、2011年からの10年代のはじまりが
こんなかたちで始まるとはまったく予想していなかった。
 人口減少や少子高齢化、新興国の台頭など変化はもちろんある。だが、い
ずれも3/11に起きたことと比べれば、小さい問題に思える。
 事態はすでにどんどん進展しているので、細かい進行は記さない。
 だが、宮城県、岩手県、福島県、青森県を中心に被災して亡くなった方は
すでに5000人を超え、ほぼ確実に1万数千人に上ると見られている。また
倒壊もしくは破壊された家屋も数万棟に及んでおり、被災して避難している
人は35万人以上とされる。
 地震と津波。それがすべてを変えてしまった。
 そしていまなお大きな課題から逃れられていない。いや、この先逃げるこ
とはできないだろう難題がある。
 原発だ。

 すでに1、2、3、4号機が燃料棒露出で放射性物質を放出している。
 いま現在は自衛隊や警視庁が水を投下したり、懸命の努力をしている。い
ずれの原発も使用不能は確実であり、あとはどの程度ソフトランディングで
きるかにかかっている。ソフトランディングといっても、すぐ終わるわけで
はない。数年単位で冷却しつづけ、そこで再臨界を防ぎながら、しかるべき
時期にコンクリートなどで「石棺」づけにするのを待つだけの話だ。
 最悪の事態は格納容器が破裂するような事態だが、そうならなくても、も
う福島県浜通りに住む人は劇的に減少するだろう。現在は20~30キロ県内
の住民に退避勧告を行っているくらいだが、かりにうまく収束できたとして
も、あの地に戻りたい人がどれだけいることか。住民感情に配慮すれば、そ
ういう言い方はすべきではないというのは重々承知しているが、すでに現地
から逃避している人たちの姿を見れば、そう考えずにはいられない。

 もちろんそれは津波によって激甚な被害をうけた三陸沿岸の町の人たちに
も言えるだろう。南三陸町や陸前高田市、大槌町など、町自体がすべて流さ
れたような状態では、復興を進めるとしても、相当数の人が戻らない、ある
いは戻れないだろうと思われる。実際、三陸沿岸では明治38年以来、これ
までに3度も津波の被害を受けてきている。そのたびに復興してきたのだが、
これほど大きな──想定をはるかに超える──被害を被った現在、同じ土地
でやり直すにも再考せざるをえないだろう。あの悪魔のような所業がいつ再
現されると想像すれば、よほど特別な思いがなければ留まらない選択をする
ほうが自然だからだ。

 津波災害の話はまだ続けたいが、今回ここで触れたいのは原発の話だ。
 原発がいかに危険か、東京電力は米エネルギー省の勧告も聞き入れてなか
ったとか、この問題だけでもさまざまレイヤーがあるのだが、ひとつだけは
っきりしているのは、どんな形に落ち着くにせよ、今後わたしたち日本人は
放射性物質の放出量を日々確認しなければいけない生活が始まるということ
だ。電力不足で仕事のあり方も変わるだろうし、その内容によって生き方も
変わるだろう。劇的に、急速に変わる部分もあれば、静かに、ゆっくりと変
わる部分もあるだろう。だが、変わることは確実だ。
 天候や気温とともに風向きを気にし、各地に設置されたガイガーカウンタ
ーの数値を気にしてから外出する(すでに文科省がYahoo!などに定期配信を
はじめた)。そういう新しい習慣ができる。
 何にも気にせずに外に出るということはなくなり、帽子をかぶったり、マ
スクをしたりということが日常的に必要となる日々となる。日常的、潜在的
につねに放射性物質の飛散、拡散を気にするような日々となる。
 そんな大きな変化が起きてしまったということだ。

 ハードランディングであっても、東京圏内への影響は少ないといまのとこ
ろは言われている。それは政府や東電などではなく、過去のデータに基づい
た知見から語っている研究者や関係者だ。反対の意見の人はもっと多いし、
そちらの意見が正しい可能性も完全に否定はできないが、私自身はいまのと
ころ、すべて滅亡するような極論には与しないし、そうは思わない。
 もちろんそれは今後の状況次第であって、いま断定はできない。だが、過
去の米スリーマイル島の事故、旧ソ連のチェルノブイリ事故、1999年の東
海村の臨界事故などの事例とそれを元に述べた研究者の弁からそう判断して
いる。
 ただ、ハードであれ、ソフトであれ、放射性物質が極微量でも出続けるこ
とは間違いないことであり、それはなくすことはできない。それは放射線の
問題とは別に、わたしたちのメンタルに少なくない影響を与えるものだろう。
 どんなに微量であっても出ているのであれば、何をするにしても、外出す
る際にはすこし原発のことが気になる。
 それが日常生活に溶け込んだ場合、同じ日常生活であってもこれまでの日
常生活とはまるで別の光景となるはずだ。

「核と暮らす日々」
 言ってみれば、それがこれからのわたしたちの生活と言えるだろう。

 今回の本を選ぶに際し、最初に考えていた本はこれだった。
 『東海村臨界事故 被爆治療83日間の記録』NHK取材班 岩波書店
 20000倍という放射線の「青い光」を間近に浴び、被爆したことでなく
なった大内久氏の治療を東大医科研が取り組んだルポだ。だが、あまりに衝
撃的な内容でもあり、今回は見送った(ところが、さっき調べてみたら、い
まはこのテレビの内容がそのままYouTubeやニコニコ動画に出ているような
ので興味がある向きはそのまま見ていただきたい。本には掲載されていない
被爆で皮膚がただれていく写真も出ているので、注意が必要だが)。そもそ
もまだ甚大な被害(いまでも甚大ではあるのだが)が出ていない段階で、こ
の本のような内容を出すことは慎まれるべきだと思ったからだ。

 そこで選んだのは、まさに「核と暮らす日々」というタイトルの章を含ん
だ本、池澤夏樹氏の『楽しい終末』だ。

『楽しい終末』自体は核のことだけを扱っているわけではなく、地球の砂漠
化や大気汚染など、人間の文明や発展とその功罪について、池澤氏が深い知
識と教養を振り絞るように考察したものだ。その考察集の二つ目で池澤氏は
「核」を扱い、そこで終えることができずに、もう一つ続きまで書いている。
 初出は1990年のことなので、すでに20年も前の話だ。だが、ここで彼が
踏み込んでいる論考は、いまなお深く広く読者にも自省を促す内容になって
いる。そして、この「核と暮らす日々」には、たまたま福島原発に関する記
述もある(もちろんそんなことは池澤氏は望んでいなかっただろうが)。

 個人的にも、この本からわたしが得たものは大きい。
 科学と社会の関係を書いていこうと思った動機のひとつにもなっていると
言えるほどだ。もともと池澤氏の本は詩集も含め、ほぼ読んでいたが、なか
でもこの本のインパクトは大きかった。図々しくも、こんな本を書いてみた
いと思ったし、文体も氏から教えられた部分もある。

 じつは、久しぶりにこの本を読み返そうと思って書棚から取り出したのが
今年の正月くらいだった。その時に1章だけ読み返して、ふたたび放り出し
ていたのだが、いま改めてよもうと目次を見たら、こんな項目もあった。
「洪水の後の風景」
 ぞれを見て、すこしばかり恐ろしさを覚えた。

 本書では要約というものに価値があるとは思えない。ビジネス本や各論の
本なら要約でもいいだろうが、本書はそういう類の本ではないからだ。
 そこで今回は要約ではなく、池澤氏の文章をいくつか引用する。そして、
その言葉から読者にはいろいろと考えてほしい。そして、できたら購入して
原文にあたっていただきたい。そうしたほうが本書の真意も伝わりやすいと
思うからだ。
 いまアマゾンを見ると、マーケットプレイスでしか売られていないようだ
が、ぜひ手にとって読んでいただきたい本である。

 じつはわたしも明日から被災地への取材に出る。
 つらい話を聞くことになるだろうが、迷惑をかけない範囲で耳を傾けよう
と思う。また、荷物は自分のものよりも被災された方に渡せるものを多く積
んでおり、わずかながらも話を聞く中で渡せることができればと思っている。

※続きはfoomiiでお読みください。
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