2011_03_21「被災地で教えられたこと」
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森 健の『ニュースを解く読書』
--- Dive Into Books with News --- 2011/03/21 vol.15
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<< CONTENTS >>
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【1】今週のテーマ >> 「被災地で教えられたこと」
【2】おまけ
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【1】今週のテーマ 「被災地で教えられたこと」
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日々刻々と変わる事態、それも一向に好転せず、悪化する一方という中で、
何をどこまで言えるのか。3月30日現在、トレンチに貯まった汚染水の処理
をに乗り出しているが、事態を注視すればするほど悲観的な実像が浮かんで
くる。
原発のことは挙げていけばきりがないが、それは次回以降に回したい。
今回はおすすめ読書には触れず、先日行った岩手大槌町での取材について
あったこと、感じたことを述べてみたい。
私が岩手県大槌町に入ったのは3/19朝で秋田空港からだった。レンタカ
ーを使いたくともその時点では東北自動車道は開通しておらず、ガソリンも
通行許可証をもつ緊急車両以外は通れないところが多かった。また、震災か
ら一週間のその時点では橋梁やバイパスなどが地震や津波で寸断されている
ところも多く、国土交通省や県でも実態をつかめていない状態だった。
また空路は花巻はつねに満席で確保できない状態。そこで秋田から入って
向かうことになったのだ
雪で覆われた秋田から岩手に入り、花巻、遠野、東和と東に向かう中で、
とくに震災らしい風景は目にしていない。目についたものと言えば、各県か
らやってきた救急車や救護車、タンクローリー。列をなして高速を走ってい
た。なんば、北海道、高松といった名前が並んで被災地へと目指していた。
小高い里山が並ぶ中山間地域を進んで4時間近く。「大槌町」の道路標識
を越しても、風景はほとんど変わることがなかった。震災の被害はいったい
どこにあるのだろう。そんな感慨までもちはじめた頃だった。市街地へ向か
う川沿いの道に入りだしてしばらくのところで、突然風景が変わりだした。
家屋などが破砕したと思われる木材が山と泥やゴミと一緒に道端に積まれ
だしたのだ。そこからの風景はまったくの別物だった。
おそらくは以前はそこに家があっただろう一帯が何もなくなり、瓦礫の山
と化している。車はあちこちで放置、ないしは捨て置かれており、天井がつ
ぶれたり、横転したままになったりしている。窓を開けると、速い風に乗っ
て潮、泥、ゴミ、焼け焦げたものなどが混ざった臭いが鼻をつく。
道路沿いにあった家々は、当初は浸水程度と見分けられる形があったが、
次第に影も形もなくなっていき、木材や鉄骨、見るも無残なゴミと化した
家財道具など瓦礫の平地に変貌していった。
大槌町の主要市街地は自衛隊による瓦礫の撤去作業中で、入ることができ
なかった。そこでまずは車で通れるようになっている国道45号沿いに釜石
方面へ。だが、釜石への道もこの時点では通行不可だった。諦めて、北側の
吉里吉里地区や浪板海岸、山田町方面へと走らせた。
状況は変わらなかった。どこへ車を走らせても、海沿いの道を囲むのは、
家やビルだったであろう鉄くずや木材ばかり。車が1階に突っ込んでいる
くらいならまだよいほうで、5メートルの堤防の上に、逆さになった木造
家屋の2階部分が乗っていたり、鉄筋ビルの上に中型船がまるごと乗って
いたりというところもあった。
しばらく車で状況をおおまかに把握した時点で、そこから避難所に向かっ
ての取材としたが、異様な風景ばかりを目にしたせいで、何かぐらりとめま
いがするような感覚が頭にあった。まだ脳で処理できていない異物が頭か胸
のどこかに残っている感覚。
だが、感傷にひたっている時間はなかった。その時点で13時45分。日が
暮れればまだ電気が通っていない避難所に押しかけることもできない。大型
のデイバッグからノートとペン、カメラを取り出すと、車から飛び出してい
った。
森 健の『ニュースを解く読書』
--- Dive Into Books with News --- 2011/03/21 vol.15
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【1】今週のテーマ >> 「被災地で教えられたこと」
【2】おまけ
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【1】今週のテーマ 「被災地で教えられたこと」
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日々刻々と変わる事態、それも一向に好転せず、
何をどこまで言えるのか。3月30日現在、
をに乗り出しているが、
くる。
原発のことは挙げていけばきりがないが、
今回はおすすめ読書には触れず、
あったこと、感じたことを述べてみたい。
私が岩手県大槌町に入ったのは3/19朝で秋田空港からだった。
ーを使いたくともその時点では東北自動車道は開通しておらず、
通行許可証をもつ緊急車両以外は通れないところが多かった。
ら一週間のその時点では橋梁やバイパスなどが地震や津波で寸断さ
ところも多く、
また空路は花巻はつねに満席で確保できない状態。
向かうことになったのだ
雪で覆われた秋田から岩手に入り、花巻、遠野、
とくに震災らしい風景は目にしていない。
らやってきた救急車や救護車、タンクローリー。
た。なんば、北海道、
小高い里山が並ぶ中山間地域を進んで4時間近く。「大槌町」
を越しても、風景はほとんど変わることがなかった。
どこにあるのだろう。そんな感慨までもちはじめた頃だった。
う川沿いの道に入りだしてしばらくのところで、
家屋などが破砕したと思われる木材が山と泥やゴミと一緒に道端に
だしたのだ。そこからの風景はまったくの別物だった。
おそらくは以前はそこに家があっただろう一帯が何もなくなり、
と化している。車はあちこちで放置、ないしは捨て置かれており、
ぶれたり、横転したままになったりしている。窓を開けると、
て潮、泥、ゴミ、焼け焦げたものなどが混ざった臭いが鼻をつく。
道路沿いにあった家々は、
次第に影も形もなくなっていき、木材や鉄骨、
家財道具など瓦礫の平地に変貌していった。
大槌町の主要市街地は自衛隊による瓦礫の撤去作業中で、
なかった。
方面へ。だが、釜石への道もこの時点では通行不可だった。
吉里吉里地区や浪板海岸、山田町方面へと走らせた。
状況は変わらなかった。どこへ車を走らせても、
家やビルだったであろう鉄くずや木材ばかり。
くらいならまだよいほうで、5メートルの堤防の上に、
家屋の2階部分が乗っていたり、
いたりというところもあった。
しばらく車で状況をおおまかに把握した時点で、
ての取材としたが、異様な風景ばかりを目にしたせいで、
いがするような感覚が頭にあった。
のどこかに残っている感覚。
だが、感傷にひたっている時間はなかった。
暮れればまだ電気が通っていない避難所に押しかけることもできな
のデイバッグからノートとペン、カメラを取り出すと、
った。
※以下はfoomiiでお読みください。
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