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【「イノべーションへの解 実践編」発売記念特集(1)】破壊的イノベーションとは何か?

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『イノベーションへの解 実践編』が販売開始されました。某書店における先行販売では好評だったようです。今回初めて知りましたが映画のスニーク・プレビューのように、正式発売日前に特定の書店で先行テスト販売することがあるようです。よく出たばかりの新刊の広告で「話題沸騰」とか書いてあり「何で発売前にそんな話題になるの?」という疑問を持つことがありますが、「テスト販売において話題沸騰だった」ということであれば、(その真偽はともかく)一応のつじつまは合うことになります。

さて、このブログでは販売開始記念の勝手プロモーション企画として何回かに分けて、クレイトン・クリステンセンの「イノベーションのジレンマ」関連の基本コンセプトについて解説していきたいと思います。第1回目は「破壊的イノベーション」について。

「破壊的イノベーション」(disruptive innovation)という言葉は(特にテクノロジー業界の)マネージメントの世界でよく使われるようになっていると思いますが、単に「画期的な製品/サービス/テクノロジーによるイノベーション」あるいは「既存の市場を破壊するインパクトがあるイノベーション」というような比較的広い意味で、この言葉を使っている人も多いと思われます。しかし、クリステンセンはこの言葉をかなり限定的な意味で使っています。

クリステンセンによる破壊的イノベーションの説明をする際には、対応する概念である持続的イノベーション(sustaining innovation)から考えた方がわかりやすいでしょう。

持続的イノベーションとは、今までよりも優れた性能を提供することでイノベーションを達成することです。つまり、過去の性能向上カーブをsustain(維持)していくということです。自由市場で競争する企業であればどの企業もやっていることです。最初のうちは、持続的イノベーションにより市場の成長が達成できますが、どこかのタイミングで飽和が生じてきます。つまり、主流のユーザーが既に「必要にして十分」(good enough)な性能を得てしまい、それ以上性能が強化されてもあまり評価しなくなってしまうという状況(「オーバーシューティング」)に陥ってしまうという状況です。一生懸命に性能を強化したり、機能を追加しても、ユーザーが買い換えてくれなくなってしまいます。

このような状況になると、今までの性能競争はほどほどにして、別の次元の性能で勝負しようとするプレイヤーが出てきます。ここで行われるイノベーションが「破壊的イノベーション」です。別の次元の性能とは典型的には低価格性、カスタマイズ性、利便性などです。

破壊的イノベーションのわかりやすい例としてはゲーム機業界におけるWiiがあるでしょう。家庭用ゲーム機メーカーがグラフィック性能の向上という持続的イノベーションで競い合ってきた結果、主流ユーザーにとってゲームが複雑になりすぎてしまい、これ以上グラフィック性能を向上してもあまり評価されないという状況になりました(ここで問題にしているのは「主流ユーザー」であってマニア層ではないことに注意)。

そこで、任天堂はWiiによってグラフィック性能はGood Enoughに抑えて、使いやすいコントローラーや簡単に遊べるカジュアルゲームという別の次元で勝負をかけたわけです。これが「破壊的イノベーション」の(成功した)典型例です。

持続的イノベーターはゲームを「より優れたやり方」で行なうことで勝利しようとし、破壊的イノベーターはゲームを「異なったやり方」で行なうことで勝利しようとする、と考えるとわかりやすいかもしれません。

なお、中島聡さんのブログでも図入りでいくつかの例が挙げられているのでご参照ください。

さて、ここで、"disruptive innovation"を「破壊的イノベーション」と訳してしまったことの是非が議論になるかと思います。ちょっと前の今泉さんのエントリーでも触れられていますが、"disruptive innovation"のポイントは新たな市場を創成することにあるのであって、既存の市場を破壊することにあるのではないからです。たとえば、「Wiiが既存のゲーム機市場を破壊した」と言ってしまうのはちょっと違和感があるでしょう。

ニュアンス的に言えば、"disruptive innovation"の訳語としては「非連続的イノベーション」が近いのではと思います。ポイントは、今までの性能向上カーブからいったん離れて別の性能で勝負する点にあるからです。

『イノベーションへの解 実践編』でも訳語の変更についてかなり悩みましたが、さすがに、「破壊的イノベーション」(そして、「持続的イノベーション」)は一応定着した訳語であり、ここで変えると混乱を招くと考えて、そのまま使うことにしました。(これ以外にも訳語の統一性と正確性の間の「ジレンマ」がいくつかありましたが、それについては以降の回で説明していきましょう)。

ところで、余談ではありますが、クリステンセンの「ジレンマ」シリーズの第3作にあたる『明日は誰のものか』(この本のみ邦訳本の出版社が違います)では、訳者の方は「わかりやすい翻訳のために過去との訳語統一を犠牲にして新しい訳語を使った」とあとがきで書かれています。しかし、その割には、"disruptive innovation"を「破壊のイノベーション」と訳しており、上記の問題は解決されていません。

そもそも、ほぼ定着していると思われる「破壊的イノベーション」という訳語をわざわざ「破壊のイノベーション」と言い換えることの必然性が不明ですし、一般に、ひとかたまりの術語の途中に「~の~」というように助詞が入るのは、私はあまり好きではありません。「破壊的イノベーションの実践上の課題」と書けば済むところが「破壊のイノベーションの実践上の課題」となってしまい、助詞の「の」が3回連続してしまうからです。結果的に、「破壊のイノベーションにおける実践上の課題」のような書き直しが必要になり、文章のリズムが悪くなります。

個人的な好みもあるかもしれませんが、術語の訳は漢語的表現に徹した方が結果的に読みやすくなると思います。

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