パソコン自分史(4) パソコン業界に首を突っ込むきっかけ
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シーエーシーにマイコンクラブというのがあって、4ビットマイコンを作って遊んでいる人たちがいた。私が興味半分で覗いたところ、月刊アスキーという雑誌が出て、その発行人が郡司明朗とあるという。1年前まで机を並べて働いていた男だ。東京ガスや山之内製薬、日本興業銀行のシステムの開発を一緒にやってきた友人だ。辞めてしまってどうしているのかなと思ったら、こんなところに顔を出していた。ほんとうにびっくり仰天だった。そして、しばらくして興味本位で表参道のハイトリオ(ビル名)のマンションの一室を訪ねた。何回か会っているうち、NECの後藤さんを紹介された、彼の手にPC8001、NBASICのマニュアルがあった。見本と朱書きされている。これからビジネスでも使えるマイコンが出るので本を書いて欲しいという依頼だった。
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