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プログラミングでメシが食えるか!?

読書の意義とは

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今朝は関東としては大雪で・・・

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普段よりも早めに家を出て・・・

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駅に向かったのですが、50分待っても電車が来ず、ホームは人で溢れかえり、これでは乗ったとしても大混雑で、しかも進まないことは間違いないと考えて、スタバでコーヒーを飲んで体を温めてから帰宅しました。

もう少し状況を伝えるべきですよね。どうしても行かねばならぬ人と、無理していく必要がない人がいるはずなのに、情報がないからとりあえず皆駅に向かい、大混雑となり、結局、病人や事故が起きてなおさらひどい状況になるという悪循環です。ニュースや駅での放送よりSNSの方が状況把握できるというのはどうも納得できない感じです。

さて、帰宅して仕事関連のメールの対応をしたりしながら、読書をしていました。凍える駅で立ちっぱなしとか、身動きもできない満員電車に閉じ込められているよりははるかに有意義な時間が過ごせました。

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正月に父から城山三郎の本を読むように言われ、とても良かったので、5冊買っておいたのを読んでいるのですが、「雄気堂々」「落日燃ゆ」まで読み、先ほどまで「男子の本懐」を読んで読み終えました。

「男子の本懐」の中に、読書の意義みたいな言葉がありました。井上準之助の言葉です。

「常識を養うのに読書の必要はないかもしれぬ。そしてまた日常の事務を処理して行くのにも読書の必要はない。しかし、人をリードして行くには、どうしても読書しなければならぬ」

「明日起こってくる問題を知るためには、どうしても読書しなくてはならぬ」

私は「こうすべき」などという手段や理論を説いている本には大抵あまり興味が湧かず、「こうだった」と本人がやってみたことを書いた本や、「こういう人だった」と偉人のことを紹介するような本に惹かれます。もちろん、本は事実に対し様々な脚色がされていることも多いとは思いますが、私は事実を知りたいわけではなく、そういう本を読んで、「生き様」や「考え方の支え」が欲しいのです。

そういう目的では、城山三郎氏の本はとても役立ち、実際に「雄気堂々」を読みながら年明けからの社内ミーティングなどで言動を少し変えてみて、周りの反応を見たりするきっかけにできましたし、意識も良い状態に保てている感じです。

今とは時代背景が違うとは言え、偉人達の生き様や、それを通じて城山三郎氏が伝えてたかったことは様々な刺激・ヒントを与えてくれます。これだから読書はやめられません。

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