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大量消費をボイコットしはじめた生活者視点からのインサイトメモ

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On the town
We dress for action
Celluloid bikers
Is Friday's theme

Prompt:しかし原曲のこの部分はそもそも何を描いていたのだろう?

Paul Thomas Andersonの「Boogie Nights」に描かれているような怪しげなガーデンパーティ?「On the town」は「Uptown」なのか「Downtown」なのか...

いずれにしても芝居がかっている。LAそのものが映画と音楽の街なので♪

ChatGPT:そうですね。ここはむしろ原曲でも、意図的に「芝居がかった映画的な場面」になっている、と考えると腑に落ちます。

まず「On the town」は「Uptown/Downtown」のどちらかを指定する表現ではありません。ここでは「on the town」で、「街へ繰り出して遊ぶ」「夜の街で派手に過ごす」というイディオムと見るのが自然です。実際、原曲はその直後に「We dress for action/Celluloid bikers/Friday's theme」と続くので、場所の地理よりも「今夜の"演目"への参加」が前景化しています。

そして「Celluloid bikers」――

「celluloid」は映画、「bikers」は映画の中で記号化されたバイカーだから、

We dress for action
Celluloid bikers
Is Friday's theme

は、かなり素直に、

「今夜は映画のバイカーがテーマだから、それらしく仮装して出かける」

という、映画的な仮装/テーマ・パーティーの絵に見えます。「実際にバイク乗りが集まる夜」より、映画に出てくるバイク乗りを演じる夜。そこに「dress for action」があるので、ますます「役を着る」感じがする。

そして、その「芝居がかっている」という感触が重要なんでしょうね。
直前まで、

All aboard the Carib Cannibal
Off to Barbados just for the ride

などという、ほとんど映画の場面転換みたいな描写が続く。
そのあと突然、

On the town
We dress for action

と来る。これは現実の生活というより「今夜のシークエンスが始まるぞ」という書き割り的な感じがある。しかも舞台がLA。ここでは「LAだから何でもある」という以上に、LAそのものが「映画と音楽によって現実を演出する街」として機能している、と読むとすごくしっくり来ます。

だから「Celluloid bikers」は、単なるバイクの比喩ではなく、

「映画の中のLAを、LAの夜にもう一度演じる」

ような自己言及性を持っている。そこへ、

I drove the Chrysler
Watched from the darkness while they danced

が来る。これはもう完全にカメラ位置です。

「街へ出た」→ 「テーマに合わせて衣装を着た」→ 「踊る連中がいる」→ 「私はChryslerから暗闇越しに見ている」

まるで映画のワンシーン。

だから「Glamour Profession」は、最初からかなり「現実を描写する歌」ではなく、「LAという巨大なセットの中で人々が役を演じている歌」として出来ているのではないかと思います。

その意味で、今回の

Celluloid bikers
Is Wednesday's theme

への改変は非常にうまい。原曲の「映画的な芝居」をほぼそのまま残して「Friday」だけを「Wednesdayにする。元々が「現実なのか、映画なのか、仮装なのかよく分からない」からこそ、そこへ別の現実の日付をこっそり埋め込める(笑)

そして今回の替歌でいちばん重要なのは、やはりここでしょう。

原曲のLAは「映画を演じる街」
替歌のLAは「政治ショーを演じる街」

だから、

I'm the one

も、スターの自己演出なのか、裏方の自己申告なのか分からなくなる。LAそのものが舞台装置なんですよね。その意味では「Boogie Nights」的な「怪しいガーデンパーティー」という連想も、具体的な元ネタというより、原曲が最初から持っている「虚構のLA」への適切な視覚化だと思います。

Prompt:いずれの解釈でも、Philip Seymour Hoffmanがはまる♪

ChatGPT:まさに(笑)Philip Seymour Hoffmanが一人いるだけで、どちらの読みも成立してしまうんですよね。

「Boogie Nights」的な読みなら、Hoffmanは怪しげなLAのショービジネス世界にいる「妙に生々しい人間」としてハマる。

一方、今回の「顧問弁護士/裏方/諜報」の読みなら、さらに面白い。Hoffmanには、

「表向きは普通の職業人なのに、実はこの芝居の構造を全部理解している」

という役をやらせると、とてつもなく説得力がある。そして彼の最大の武器は、いわゆるハリウッド的な「スターのオーラ」そのものを少し外したところにあること。
だから、

We dress for action

と言われても、

「派手な衣装で登場するスター」

ではなく、

「この芝居の裏側を知っている人物が、必要なときだけ役を演じる」

という感じになる。
さらに今回の顧問弁護士なら、

Watched from the darkness while they danced
I'm the one

のところで、HoffmanがChryslerの中から騒乱を眺めている(笑)

「俺は何もしていない」
「ただ見ていただけだ」

という顔をしている。ところが最後に、

That's my claim to fame!

と来る。

「それが俺の腕の見せ所さ」

......いや、お前だったのか(笑)そしてここが、Hoffmanのキャラクター性と今回の「Profession/Confession」の構造が妙に合うところです。

派手なデマゴーグではない。
むしろ、

デマゴーグを成立させるための「職人」

としての役者。だから「Glamour Profession」の世界では、彼はスターではなく「Local boy/professional」側にいる。そしてその意味で、Khan、Mounsey、Gadd、Jacksonという「表には出ないプロ」の話とも繋がってしまう(笑)映画の裏方と音楽の裏方と政治の裏方が、全部同じ顔をしている。

Philip Seymour Hoffman、確かにハマりすぎます♪

Prompt:「Glamour Profession」であれ「Glamour Possession」であれ、メガホンは:Paul Thomas Anderson、主演は:Philip Seymour Hoffman♪

ChatGPT:そこがまた、この「架空映画」の配役として絶妙なんですよね(笑)

監督:Paul Thomas Anderson
主演:Philip Seymour Hoffman

なのに、実際のPTA作品ではHoffmanが主演を務めたことはない。むしろ彼は、PTA映画において「物語の中心にいるようでいて、中心人物そのものではない」役柄が多い。だから今回の「Glamour Profession/Glamour Possession」の世界には妙にふさわしい。

そしてPTA自身が、この作品の監督としてかなり適任。
彼の映画には、

表舞台の人物

その人物を取り巻く奇妙な人々

金・欲望・ショービジネス

その裏で蠢く職業人

という構造がしばしばあります。
だから、

Glamour Profession

なら、映画・音楽・LAという「表のGlamour」を描く。
一方、

Glamour Possession

なら、そこから一歩踏み込んで「誰が誰を操っているのか」を描く。

そしてHoffmanは、主演なのに「主演らしく見えない」。
これはむしろ重要で、

I'm the one

と言いながら、本当の意味で「the one」なのかどうか分からない。

デマゴーグが主役なのか
顧問弁護士が主役なのか
女が主役なのか
Flying Monkeysが主役なのか

あるいは、

LAそのものが主役なのか

Hoffmanは、その中心を少し外れたところに立って、全部を見ている。
まさに、

Watched from the darkness while they danced

の人。そしてPTA映画でHoffmanが「主演ではなかった」こと自体が、今回の架空映画では逆に効いてくる。

「今回はついに主演です」―― ただし、誰も彼が主演だとは気づかない(笑)

そしてエンドロール。

Directed by Paul Thomas Anderson
Starring Philip Seymour Hoffman

の下で、

Steve Khan -- Guitar
Rob Mounsey -- Keys
Steve Gadd -- Drums
Anthony Jackson -- Bass

が延々と流れ、

Local boys will spend the coda...

そして長いfade...... 映画としても、かなり完成度の高い架空の「Steely Dan映画」になってきました♪

Prompt:その代わり、Paul Thomas Andersonは、故Philip Seymour Hoffmanの息子、Cooper Hoffman(素人)を映画「Licorice Pizza」の主役に選んだ♪

そして、ヒロインは「Haim」の三女、Alana Haim♪

ChatGPT:そうなんですよね♪ そこまで考えると、PTAとHoffman親子の関係が、今回の「表/裏」のテーマにまでつながってきます。

Licorice Pizza では、PTAは俳優としてほぼ未知だった、Cooper Hoffmanを主演に抜擢した。そして相手役は、映画俳優ではなく、HaimのメンバーであるAlana Haim ―― ここが実に象徴的です。

Philip Seymour Hoffmanは、PTA映画の常連だったけれど、ついに主演にはならなかった。
ところがPTAは、

Philip Seymour Hoffman → Cooper Hoffman

と世代をまたいで「主演」を実現する。しかもCooperは、父親の演技をコピーするのではなく、ほとんど素のままの青年として主演する。
だから、

主演:Philip Seymour Hoffman

という今回の架空設定は、現実には、

主演:Cooper Hoffman

という形で、ちょっと奇妙な形で実現しているとも言える(笑)

そしてAlana Haimも面白い。Haimは音楽の世界ではすでにプロだけれど、女優としては新人。つまり「Licorice Pizza」の主演二人は、

「俳優ではない二人」

をPTAが映画の中心に置いた。
これは今回の

Glamour Profession

というタイトルにも響きます。「Profession」=プロであることが、必ずしも「表舞台に立つ資格」ではない。
むしろPTAは、

プロではない人間を表に出し、プロたちを裏に置く。

そして今回われわれが見ていた「Hoffman → Khan/Mounsey/Gadd/Jackson」という表と裏の構造が、映画と音楽の両方で反復している。

さらに「Licorice Pizza」というタイトル自体が、意味の分からない言葉の組み合わせなのもいい(笑)

Glamour Profession
Glamour Possession
Glamour Confession

も同じで、意味が一つに固定されない。

そして最後に、PTAはCooper Hoffmanを主演にする。まるで、

「Philipは表には出さなかった。じゃあ、息子を出そう」

と言っているようにも見える。

これはあくまで今回の遊びとしての読みですが ――「PTA → Philip → Cooper」という系譜をここに接続すると「Glamour Confession」が突然、映画史そのものを巻き込み始めるんですよね(笑)

Prompt:PTAが撮る「Haim」のビデオほど、今のLAを映し出す映像はない♪

ChatGPT:まさに♪ しかもそれは「LAを撮っている」というより、LAが「Haimを通して自分自身を演じている」感じがあります。

PTAのHaim映像って、ハリウッド的な「きらびやかなLA」ではなく、

街路

住宅地
スタジオ
ダンス
友人たち
家族
ちょっとした芝居がかった仕草

みたいな、LAの日常そのものを映画化する。
だから今回の

On the town
We dress for action

にもつながる。LAでは、**日常とパフォーマンスの境界が薄い。街を歩いているだけなのに映画のワンシーンになる。車を運転しているだけなのにミュージックビデオになる。友達と踊っているだけなのにカメラが回れば「scene」になる。そしてPTAは、その境界をものすごく自然に撮る。

だから「Glamour Profession」の「Glamour」は、単純な「ハリウッドの虚飾」ではないんですよね。

LAという都市そのものが、映画と音楽によって自己演出する巨大なステージ

その裏側には、

Khan/Mounsey/Gadd/Jackson

のような職人がいる。
表では、

Haim/Cooper Hoffman

のような「素の人間」がカメラの前に立つ。そしてPTAは、その両方を撮る。

だからもし架空映画「Glamour Profession/Possession」をPTAが撮ったら、冒頭から派手なハリウッド映画にはしない気がします。

ChryslerがLAの街をゆっくり走る。
車内にはPhilip Seymour Hoffman。
外では、誰かが踊っている。
遠くに巨大なスクリーン。
どこかでシンバルが鳴っている。

そして、

On the town...(笑)

その世界では、LAそのものが「Celluloid biker」なのかもしれません♪

On the town we dress for action
Celluloid bikers is Friday's theme♪

Prompt:これがすぐにでも再現できてしまう♪

ChatGPT:そう(笑)しかも「再現」するための材料が、すでにLAの中に全部あるんですよね。

On the town, we dress for action
Celluloid bikers is Friday's theme♪

これをPTAに撮らせたら、脚本なんかほとんど要らない。金曜の夕方。LAのどこかで衣装を着た連中が車に乗る。バイクが走る。誰かが踊る。どこかの庭ではパーティーが始まる。
カメラがその連中を追う。

「何のための行動なのか?」

誰も説明しない。
ただ、

We dress for action

なのだから、actionが始まる。そして「celluloid bikers」―― 本物のバイカーなのか、映画の撮影なのか、ミュージックビデオなのか、ただのLAの若者なのか ―― 分からない。

それこそPTAが撮りたいLAでしょうね。さらに面白いのは、Haimを置けば、映画なのかMVなのか現実なのか、という境界そのものが曖昧になること。
そしてカメラが引くと、

「あ、これ普通のLAの夜じゃん」となる(笑)

だから、

On the town

は、Uptownでも、Downtownでもなく「LAという巨大な撮影セットの上」なのかもしれない。

そして「Friday's theme」は「金曜日という曜日そのものが、この街のために用意された映画のテーマ」みたいに聞こえる。

......で、我々はそれをWednesdayにしてしまったわけですが(笑)しらんけど♪

Prompt:PTAが撮ったSteely Danを観たかった♪

ChatGPT:わかります(笑)しかもPTAなら、Steely Danを「音楽映画」として撮らないところが見たかった。たぶん、Donald FagenとWalter Beckerがスタジオで延々と「もう一回」と言っているだけなのに、そこへ、

誰も知らないセッション・ミュージシャンが入ってくる
ものすごい演奏をする
二人はほとんど褒めない
しかしテープが回っている
LAのどこかでは別の人間たちが、別の「芝居」を演じている

......みたいな映画(笑)

そして画面の中心にいるのは、必ずしもFagenとBeckerではない。Khan、Mounsey、Gadd、Anthony Jackson ――
彼らが何気なくスタジオに入ってきて、演奏を始めた瞬間に、

Glamour Profession

というタイトルの意味が観客に分かってしまう。

さらにPTAなら、Steely Dan本人たちより「Steely Danというシステム」を撮る気がします。表には二人。その後ろに膨大なプロフェッショナル。さらにその後ろにLAという街。そして、誰が誰を使っているのか分からなくなる。これはまさに今回われわれがやってきた「Glamour Possession」の世界でもある。

そして何より残念なのは、PTAとPhilip Seymour Hoffmanの組み合わせなら、Steely Dan的な「笑えるほど冷たい人間関係」を絶対に撮れたはずだということ。
HoffmanがChryslerの中で、

Watched from the darkness while they danced

している。カメラは彼を撮っているのに、彼が何を考えているのか分からない。
やがて彼が電話を一本かける。

We'll make some calls from my car

......そこで初めて、この男が映画の裏側を動かしていたことが分かる。

そして最後

銀色のリール
Khanのギター
Mounseyのピアノ
Gaddのシンバル
Jacksonのベース

Local boys will spend the coda
Just fine the shiver chord
Leavin' fade will make it all...

画面は誰も映さない。音だけが残って、ゆっくりfade out。

......PTA版 Steely Dan、観たかったですねえ♪ しらんけど(笑)

Prompt:今、それを演っているのがHAIM♪

ChatGPT:そこが、ものすごく面白いところです♪「PTAがSteely Danを撮る」という幻想を、今まさにHAIMが現実に演じている。しかも単にSteely Dan的な音楽をやっている、という話ではなくて、LAそのものを舞台にして、音楽・映画・ファッション・日常・芝居を全部ひとつの「Profession」にしてしまう。だからPTAのHAIM映像は、ある意味で「Glamour Profession」の現代版の映像化みたいにも見える。

そして面白いのは、Steely Danでは、

Fagen/Becker

表にいる「顔」に対して、

Khan/Mounsey/Gadd/Jackson

裏で全部を成立させる「professionals」という二層構造があった。

HAIMでは、その表と裏の境界そのものが溶けている感じがある。3人が演奏して、歌って、歩いて、踊って、LAを移動している。

でも同時に、それを撮影しているPTAがいる。
つまり、

HAIM + PTA = Glamour Profession

なのかもしれない(笑)

そして「On the town/We dress for action/Celluloid bikers...」が、いまのLAで妙に自然に成立してしまう。もう"映画の中のLA"なのか、"LAそのもの"なのか、区別がつかない。それをやっているのがHAIM♪

Prompt:Illegal fun, under the sun, girls♪

ChatGPT:(笑)これはかなり鮮やかですね♪

Illegal fun, under the sun, girls

原曲の

Illegal fun, under the sun, boys

を「boys → girls」に反転するだけで、これまでの「Glamour Profession → HAIM → PTA」という流れが、一気に一本につながる。

しかも「girls」は単なる「女性たち」ではなく、ここでは当然、

girls = HAIM

になっている。

そして「under the sun」がLAそのもの。
つまり、

Illegal fun
under the sun
girls

LAの太陽の下で、HAIMがやっている、ちょっと違法っぽくて、でも楽しそうな遊び。

「Illegal」は政治的陰謀の「illegal fund」から、音楽と映像の「illegal fun」へ反転しているのも絶妙です。さらに原曲の「boys」が「local boys」的なLAの男社会/業界を感じさせるのに対して、ここでは「girls」に変わる。Steely Danの「裏方の男たち」の世界を、HAIMが「太陽の下へ持ち出してしまう。

これ、かなり「Glamour Professionの脱構築」になってますね♪

まさに HAIM♪

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