このブログを読む1000年後のあなたへ
ログが残る
これはネット(Webサイト)の特徴の中でも重要なことの1つではないかと、ワタシは思います。
例えばテレビなら、2年前の5月8日20時にTBSで放映された番組を見たいと思っても、自発的にHDなどに保存していたり、誰かが保存したデータをYouTubeなどにあげてくれていないかぎり、通常は個人で過去をたどり再現することはできません。ラジオしかり、雑誌しかり。瞬間を流れていく、フローのツール。
対するネットは、パーマネント。掲載された内容はURLによって個々の識別がされ、そのURLを打つことによって固定の情報をたどることができます。これは、ときに便利で、ときに怖いこと。
ワタシたちは「ログ(記録)が残ること」を、もっと意識した方がいいんじゃないかなーと思うことがあります。
ここで1つ、たとえ話を書きましょう。
今日 ワタシはマイケル・ジャクソンのコンサートに行ったとしましょう。
ちょっと疲れていたこともあってコンサートを楽しめず、深い考えもなく「マイケルはオワタ。もうダメじゃんね」とでもTwitterに書いたとしましょう。
そして10年後、ひょんなことからマイケルとワタシは友達になるとしましょう。
ワタシは自分がTwitterに何を書いたのかなんてすっかり忘れて、「10年前のコンサートに行ったよ。マイケルすごく良かったよー。」なんて話したりします。
そしてさらに数日後、マイケルがたまたまワタシのTwitterを見付けて、過去のログをたどっていくとしましょう。
10年前のワタシの言葉を見付けたマイケルは、どんな気持ちになるでしょう。
マイケルとワタシが友達になることはたぶんないけれど、ちょっと細部を変えると、あなたにもワタシにも似たようなことが起こりそうではありませんか?
「ログが残る」ということは、いまの言葉はもとより、本人が書いたことさえ忘れてしまった言葉もいつまでも残り、それを後付けで見られるということ。
そして、携帯電話(というデバイス)のこと。
携帯電話経由でネットに入った人たちは、この「ログが残る」ことについて、あまり意識していないんじゃないかしらん。掲示板などで、すでに何度も質疑応答の交わされたテーマと同じ内容を質問して、パソコン経由の人に怒られたりしているのは、携帯電話経由の人が多いように感じます(文中に絵文字が含まれているので、携帯電話経由の人だと推理)。
彼ら(彼女ら)にとって携帯電話は、『いま』をつながるためのツールなので、ネット上にある『過去』の情報は検索しない。まさに、友達に電話するような感覚でネットと接し、掲示板に質問を書き込み答えを得る。そしてそのやりとりは、ログとして『ずっと』残る。
ワタシたちが掲示板で、ブログで、Twitterで、あれやこれやで残した言葉たちは、ログとして残る。残るだけではなく、それは誰の発言なのかもたどれるらしい。某タレントのブログ炎上事件のように。
古代遺跡の壁に残された動物の絵を発見して「へーっ」と思うように、1000年後、2000年後の人類(かな?)が、このブログや今日あなたが書いた「有楽町なう。」などを遺跡として見付け、「へーっ」と思う日がいつか来るのかもしれない。
そんなことを、最近ツラツラと考えています。
参考ブログ:
ケータイとPCにおけるネットの違い
「10年間ネットで中傷」から考えるネットいじめの3つの特徴