若者よ海外に雄飛せよ その19 発つ人を止められるか
若者よ海外に雄飛せよ その19 発つ人を止められるか
明らかに好意以上のものを持っている彼女が、突然、男性に、
「私、海外に行くことに決めた」
「どのくらい?」
「2年くらい、もっと長いかも」
「......」 がっくりとくる男性。
「ごめんね」
こんな場面の航空会社のコマーシャルを見ると、複雑な思いになる。この男性にとっては、人生の伴侶(予定)が2年も自分から離れてしまうことになる。
「ああ、行っといで、行っといで。素晴らしいことだ。2年でも3年でもずっと待っている」と、さらっと言える人は、聖人かもしれない。(いやきっと聖人に違いない)
若い時の私で、恋人と(自分が)思っている人から言われたなら、
「わあー、勘弁してくれ。それは無いよ」と、ひっくり返って手足をばたばたさせて反対するか、土下座してやめてもらうか、おんおん泣くとかするだろう。「結婚したら、将来必ず、海外勤務して、海外で学べるようにしますから」と約束するかもしれない。
それでもだめなら、「じゃ、ぼくも一緒に行く」と、仕事より彼女を取るかもしれない。ところが、彼女は、
「一緒じゃだめ。語学を学びに行くのだから、一緒じゃ、日本語ばかりになってしまう。だからダメ」と言うに違いない。
もうこうなると、日本国内で待つ以外は、自分もどこかに留学するか、海外勤務することくらいしか方法がない。
ここで私の話を聞いてもらいたい。
大学時代、私は、商社に入社が決まっていた。同級生だった彼女とは、非公式(口約束)に婚約をしていた。
その頃、彼女が、「卒業後は教職に進みたい」と言ったのには、まいった。中学、高校の英語の先生である。
私は断固反対した。理由は、彼女が教職に進んだら、彼女は教職の大切さに目覚めて、はまり、仕事に打ち込み、教職を辞めることなど不可能になると、私は彼女の性格を見抜いていた。たとえ私が商社で海外勤務が決まっても、彼女の性格から言えば、「大切な生徒を捨てていけないわ。悪いけど単身赴任して」なんて言われる可能性があった。
更にもっと恐れていたのは、彼女の優れた語学力と向学心であれば、彼女の方が先に海外の大学への奨学金を得て、留学することになるかもしれない。もうこうなると、手が付けられないほど、私の人生とはかけ離れてしまう。収拾がつかなくなる。破滅的だ。
そこで考えに考えたのが、彼女に、文化庁の「外国人に日本語を教えるコース」を選んでもらうことだった。そうすれば海外でも日本語を教えられるし、海外で子供たちを教えることもできる。このように説得した結果、教職を選ぶコースを彼女は放棄したのだった。
私は商社に入社して、次の年にその彼女と予定通り結婚して、私は会社で「海外ならどこでも、どんなに厳しいところでも構わないので、海外に行きたい」と言い続けた。次の年(入社2年半)で長男が生まれると同時に、家族で海外生活となった。海外生活は12年間となった。私は彼女の教職の進路をふさいだ責任は、ヨメサンになった後、まず海外生活をすることで少し返し、ヨメサンの執筆、翻訳を奨励した。彼女は本を多数出版したことでも少し返した。
子どもが3人できて、12年の海外生活から帰国した後で、彼女の向学心が再度、急激に盛り上がり、米国の大学院(通信講座だが、年に数度、数か月のスクーリングがある)に入学を決めた。例によって私はまた(ワンパターンに)反対したが、もはや阻止できず。彼女は大学院の勉強を続けて、アメリカに通い続け、修士卒業までがんばった。これを見ても、やはり学生時代の私の読みは正しかったと思っている。彼女は勉強にはまるタイプなのだ。
それからも数度、海外勤務をして、帰国後、ヨメサンは大学で教え始めた。全部で19年間、海外勤務・生活をしたことになる。私が定年になり、アイデアマラソン研究所を設立した。彼女は現在もいくつかの大学で教鞭を取っている。
いよいよ締めくくりの部分に入った。
2011年10月に、私は国立の北陸先端科学技術大学院大学(Jaist)の知識科学研究科の博士後期課程に入学した。アイデアマラソンの学問的分析と効果の証明を果たすためである。そして、研究を続ける中で、ヨメサンにも同じ大学で博士後期課程に入学することを提案した。そして、彼女の入学が決まり、この4月からは同じ大学院の学生となる。
学生時代最後の時の彼女(ヨメサン)との約束を果たすのに、何と45年もかかった。
人生はなが~いドラマだ。