津波と闘う (Challenge against Super-Tsunami) その2 東京湾全体を巨大津波から守る 「東京湾口 スーパー津波堤防の提案」 (Proposal for Construction of Tokyo Bay Super-Tsunami Embankment) (想像図付き)
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津波と闘う (Challenge against Super-Tsunami) その2 東京湾全体を巨大津波から守る「東京湾口 スーパー津波堤防の提案」
(Proposal for Construction of Tokyo Bay Super-Tsunami Embankment)
歴史津波の羽鳥徳太郎博士は、東京湾の一番奥、すなわち東京で、「2メートル以上の津波は、あまり考えられない」と、同博士の論文「東京湾・浦賀水道沿岸の元禄関東(1703)、安政東海(1854)、津波とその他の津波の遡上状況」に書いている。
しかし、本当にそうだろうか。自然は時にとんでもないパワーを見せることがある。ちょっと震源の位置や津波の進行角度が違うだけで、大きな違いがでてくるのが津波だ。毎回異なった悪魔の顔をしている。
今回の東日本大震災なんかは、典型的な過激な例だった。私はもっと大きな津波が東京にも押し寄せる可能性はあると思っている。一度、それが発生すれば、襲われた地域は壊滅的な被害を受ける。
油断していることから、人命の損失も計り知れないものがある。そんな大震災が起こった後では、途方もないコストを掛けて再建を図ることになる。しかし、人命は戻らない。
羽鳥博士によると、江戸時代にさかのぼった大地震でも、房総半島の外、三浦半島の外側での津波は、東京湾内では強さはかなり減衰されてきたとのこと。
羽鳥博士の論文によると:
1703年12月31日 元禄地震(M8.2)房総南部沖
① 相模湾岸・房総九十九里浜 大被害
② 浦賀津波4.5m
③ 三浦津波6-8m
④ 江戸(本所・両国・深川)1.5m
⑤ 品川・千葉浦安・船橋 2m
⑥ 横浜3-4m
⑦ 上総湊~館山 5-10m
1854年12月23日 安政東海地震(M8.3)遠州灘の震源
① 隅田川河口の浜町河岸(現在の中央区)、深川(江東区)、山谷掘(台東区)で、水が溢れた
② 浦安1m
③ 横浜1-2m
④ 浦賀3m
1923年9月1日 関東地震(M7.9)
① 鎌倉・熱海・伊東など相模湾沿岸に、大きな被害
② 東京湾は幸い干潮時の津波だったので、市街地には溢れず
このように、東京湾の奥まってギザギザの細長い形状や次第に浅くなっている状況から、津波が相模湾と較べて25%程度に鎮まっていることから、羽鳥博士は、東京の沿岸では2mを超える津波は考えられないと結論付けている。
東京湾内では、現在ほとんど大津波に対しての防御は考慮されていない。
無数の石油タンク、LNGタンク、発電所群、巨大な工場群など、東京湾は過密の状態である。今回のような大津波でなくても、4m程度でも津波が押し寄せれば、信じられないほどの大きな災害となってしまう。
今回の東日本大震災が引き起こしたような大津波が、仮に東京湾を襲ったとすれば、弱化されたとしても、東京の半分を始め東京湾内のほとんどの都市と施設は極めて大きな打撃を受けることになる。
一般の住宅でも、数メートルほどの津波であれ、住宅は大きく破壊されるだろう。昔と違い、現在は地下の利用が大幅に進み、地下街、ビルの地下、地下鉄などは、数メートルの高さの津波が都市に流入しても、大変な被害を引き起こすことになる。
グーグルアースを見れば良く分かる。富津には東電の火力発電所、君津や木更津、反対側の横須賀、横浜には、巨大な工場群や石油・LNGガス関係のタンクが並んでいる。大爆発や火災が発生する可能性が高い。
東京湾口の入り口は、房総半島と三浦半島の間の約10キロは、浦賀水道と呼ばれる交通の要衝であり、一日に700隻以上の船が通り過ぎていく。この浦賀水道の中間部は水深100メートル以下で、両側は楠山(三浦半島)鋸山(房総半島)と、山が迫っている。
私の提案は、「東京湾口スーパー津波堤防の建設(Proposal for construction of Tokyo Bay Super Tsunami Embankment)」である。この海峡部に約10キロで、高さ20メートル程度の堤防を築くことだ。もちろん、船が航行できるように大きな水門をいくつも作る必要がある。水門の中を航行する船を自動的に案内する装置も必要だろう。
問題は水上の堤防の高さの決定であるが、20メートルから25メートルあれば十分だと思われるが、堤防の高さは、専門家の分析と提案を必要とするだろう。
大地震と津波の発生の警報で、堤防は完全に水門を閉めきる。津波側からの開閉の巨大な扉。更に上下スライドするゲートなど、新しい構造の閘門を考える必要がある。水深を考えると、すごく巨大なのだ。地震が発生後、速やかに閉門する必要がある。通過中の船舶の処理や扱いも様々な問題となるだろう。解決されなければならない未知の技術的問題は無数にある。
かりに堤防を超える巨大な津波が発生したとしても、東京湾内で弱化されることになる。
ただ、巨大な津波が襲ってきて、堤防を超えた時にそれに耐えられる構造になっていなければならない。
「東京湾口のスーパー堤防」には、鉄道と一般道路、高速道路が内蔵されていて、東京湾内を更に発展させることができる。東京湾口スーパー津波堤防を完成させるには、10年、20年と掛るかもしれない。
巨大な建設費用が掛るが、近い未来、あるいはいつか、東京湾が津波に襲われる可能性を考えると、抜本的対策として考える必要がある。このスーパー津波堤防が完成すれば、台風にも十分に対応できる。
スーパー津波堤防が完成する前の、浦賀水道を閉めきることができない未完成の段階でも、津波の発生があれば、津波を更に弱体化できるような力学的デザインが望ましい。堤防の閉め切りが完成していなくても、できる限り大きな津波減衰効果を持たせたい。建設を何段階かに分けて、津波の減衰を徐々に上げていくのだ。
東京湾口スーパー津波堤防が建設されると、東京湾の自然環境、海中環境は大きく変化するが、それらも十分に検討される必要がある。東京湾内の水流の動きも変化し、生物にも影響がでるだろう。
少しでも東京が津波に襲われる可能性があるとすれば、このスーパー津波堤防は必要だと考える。
一つ問題がある。東京湾口を浦賀水道で閉めきっても、三浦半島の反対側の相模川の河口の部分は、まったく無防備のままだ。そこを大津波が襲えば、横浜を裏側から攻撃されることになる。こちらをいかに防御するかを次のブログで提案したい。
(Proposal for Construction of Tokyo Bay Super-Tsunami Embankment)
歴史津波の羽鳥徳太郎博士は、東京湾の一番奥、すなわち東京で、「2メートル以上の津波は、あまり考えられない」と、同博士の論文「東京湾・浦賀水道沿岸の元禄関東(1703)、安政東海(1854)、津波とその他の津波の遡上状況」に書いている。
しかし、本当にそうだろうか。自然は時にとんでもないパワーを見せることがある。ちょっと震源の位置や津波の進行角度が違うだけで、大きな違いがでてくるのが津波だ。毎回異なった悪魔の顔をしている。
今回の東日本大震災なんかは、典型的な過激な例だった。私はもっと大きな津波が東京にも押し寄せる可能性はあると思っている。一度、それが発生すれば、襲われた地域は壊滅的な被害を受ける。
油断していることから、人命の損失も計り知れないものがある。そんな大震災が起こった後では、途方もないコストを掛けて再建を図ることになる。しかし、人命は戻らない。
羽鳥博士によると、江戸時代にさかのぼった大地震でも、房総半島の外、三浦半島の外側での津波は、東京湾内では強さはかなり減衰されてきたとのこと。
羽鳥博士の論文によると:
1703年12月31日 元禄地震(M8.2)房総南部沖
① 相模湾岸・房総九十九里浜 大被害
② 浦賀津波4.5m
③ 三浦津波6-8m
④ 江戸(本所・両国・深川)1.5m
⑤ 品川・千葉浦安・船橋 2m
⑥ 横浜3-4m
⑦ 上総湊~館山 5-10m
1854年12月23日 安政東海地震(M8.3)遠州灘の震源
① 隅田川河口の浜町河岸(現在の中央区)、深川(江東区)、山谷掘(台東区)で、水が溢れた
② 浦安1m
③ 横浜1-2m
④ 浦賀3m
1923年9月1日 関東地震(M7.9)
① 鎌倉・熱海・伊東など相模湾沿岸に、大きな被害
② 東京湾は幸い干潮時の津波だったので、市街地には溢れず
このように、東京湾の奥まってギザギザの細長い形状や次第に浅くなっている状況から、津波が相模湾と較べて25%程度に鎮まっていることから、羽鳥博士は、東京の沿岸では2mを超える津波は考えられないと結論付けている。
東京湾内では、現在ほとんど大津波に対しての防御は考慮されていない。
無数の石油タンク、LNGタンク、発電所群、巨大な工場群など、東京湾は過密の状態である。今回のような大津波でなくても、4m程度でも津波が押し寄せれば、信じられないほどの大きな災害となってしまう。
今回の東日本大震災が引き起こしたような大津波が、仮に東京湾を襲ったとすれば、弱化されたとしても、東京の半分を始め東京湾内のほとんどの都市と施設は極めて大きな打撃を受けることになる。
一般の住宅でも、数メートルほどの津波であれ、住宅は大きく破壊されるだろう。昔と違い、現在は地下の利用が大幅に進み、地下街、ビルの地下、地下鉄などは、数メートルの高さの津波が都市に流入しても、大変な被害を引き起こすことになる。
グーグルアースを見れば良く分かる。富津には東電の火力発電所、君津や木更津、反対側の横須賀、横浜には、巨大な工場群や石油・LNGガス関係のタンクが並んでいる。大爆発や火災が発生する可能性が高い。
東京湾口の入り口は、房総半島と三浦半島の間の約10キロは、浦賀水道と呼ばれる交通の要衝であり、一日に700隻以上の船が通り過ぎていく。この浦賀水道の中間部は水深100メートル以下で、両側は楠山(三浦半島)鋸山(房総半島)と、山が迫っている。
私の提案は、「東京湾口スーパー津波堤防の建設(Proposal for construction of Tokyo Bay Super Tsunami Embankment)」である。この海峡部に約10キロで、高さ20メートル程度の堤防を築くことだ。もちろん、船が航行できるように大きな水門をいくつも作る必要がある。水門の中を航行する船を自動的に案内する装置も必要だろう。
問題は水上の堤防の高さの決定であるが、20メートルから25メートルあれば十分だと思われるが、堤防の高さは、専門家の分析と提案を必要とするだろう。
大地震と津波の発生の警報で、堤防は完全に水門を閉めきる。津波側からの開閉の巨大な扉。更に上下スライドするゲートなど、新しい構造の閘門を考える必要がある。水深を考えると、すごく巨大なのだ。地震が発生後、速やかに閉門する必要がある。通過中の船舶の処理や扱いも様々な問題となるだろう。解決されなければならない未知の技術的問題は無数にある。
かりに堤防を超える巨大な津波が発生したとしても、東京湾内で弱化されることになる。
ただ、巨大な津波が襲ってきて、堤防を超えた時にそれに耐えられる構造になっていなければならない。
「東京湾口のスーパー堤防」には、鉄道と一般道路、高速道路が内蔵されていて、東京湾内を更に発展させることができる。東京湾口スーパー津波堤防を完成させるには、10年、20年と掛るかもしれない。
巨大な建設費用が掛るが、近い未来、あるいはいつか、東京湾が津波に襲われる可能性を考えると、抜本的対策として考える必要がある。このスーパー津波堤防が完成すれば、台風にも十分に対応できる。
スーパー津波堤防が完成する前の、浦賀水道を閉めきることができない未完成の段階でも、津波の発生があれば、津波を更に弱体化できるような力学的デザインが望ましい。堤防の閉め切りが完成していなくても、できる限り大きな津波減衰効果を持たせたい。建設を何段階かに分けて、津波の減衰を徐々に上げていくのだ。
東京湾口スーパー津波堤防が建設されると、東京湾の自然環境、海中環境は大きく変化するが、それらも十分に検討される必要がある。東京湾内の水流の動きも変化し、生物にも影響がでるだろう。
少しでも東京が津波に襲われる可能性があるとすれば、このスーパー津波堤防は必要だと考える。
一つ問題がある。東京湾口を浦賀水道で閉めきっても、三浦半島の反対側の相模川の河口の部分は、まったく無防備のままだ。そこを大津波が襲えば、横浜を裏側から攻撃されることになる。こちらをいかに防御するかを次のブログで提案したい。
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