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商社マンの営業として33年間(うち海外生活21年間)、国内外で様々な体験をした。更に、アイデアマラソンのノートには、思いつきを書き続けて27年間、読者の参考になるエピソードや体験がたくさんある。今まで3年半、ITmediaのビジネスコラム「樋口健夫の笑うアイデア動かす発想」で毎週コラムを書き続けてきたが、私の体験や発想をさらに広く提供することが読者の参考になるはずと思い、ブログを開設することにした。一読されれば「読むワクチン」として、効果があるだろう。

耐震対策は、つっかい棒かネジ留めか

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地震対策 その3 つっかい棒かネジ留めか

今、私の小さな研究所には、本棚が15架ある。

去年の1月にここに移ってきた時に、何千冊もの膨大な書籍をどのように収納するかが、問題の一つ目だった。

通販を駆使して、巨大な壁一面の本棚を並べた。従来持っていた書架と合わせると、大小15架もの書棚が本でいっぱいになった。中には、私の27年分のノート387冊をすべて収めた書架もある。

書棚に多数の本を並べ終わった時に、これらの書籍の耐震対策をどうするかを考え始めた。その前に、絵画を二三枚、壁にネジで固定した時ですら、すでにヨメサンは壁にネジの穴が残ることで、文句を言っていた。

15架もの書棚をネジで固定するのは、大反対するだろうと考えて、通販で、プラスチックの耐震つっかい棒を多数で固定してみた。できあがった書架を手でゆすってみるとどう考えても、頼りない。

手でゆすっても、この巨大な書架が動くのだ。地震があったら、この重量ではプラスチックの耐震棒では支えきれないだろうと思った。

私は悩んだ。ヨメサンの反対と、研究所の安全を較べたが、当然、研究所の安全を取るべきだという論理になった。私が自分のノートにつぶされたのでは、笑うに笑えない。2009-10-03 天羽ノート棚2 圧縮ファイル.jpg

ヨメサンが1週間ほど、海外出張をする予定を知った。
これをチャンスに私はまず、工具の電動ドライバーとアルミの折りたたみ式の脚立を購入して、多数のL字の留め金具で、壁にがっちりと固定した。小さな2つの書棚以外の13架を全部留めた。ゆすってみても、これらはしっかりと固定できた。

書架の高さが、背丈よりはるかに高くいので、ヨメサンが発見するのは、しばらく時間がかかるだろうと思っていた。更にアイリス・オーヤマ製の地震早期通報システムの付いたラジオを購入して、装置した。

次は自宅のヨメサンの書斎の耐震対策をつっかい棒で始めた。私は地震の時に倒れてくる可能性のある前では、絶対に寝られない。

こうして、東日本大震災の日を迎えた。

大震災の発生した時、私は韓国の大学に出張して、昼間の講義を終えたところだった。

私は研究室は、崩れた本で無残な状態だと予想していた。研究所には、秘書と総務を担当している女性が一人残っていた。彼女は、本の雪崩から無事に生き延びただろうか心配だった。

 その次の日にようやく携帯がつながって、秘書・総務の女性と話ができた。
「研究所の本は、地震でぐちゃぐちゃなの」
「いいえ、一冊も落ちていません」 
これだけの地震でも、直下型ではなかったことから、横揺れであったことで、15もの書架は、ネジで固定されたまま動き、本は1冊も落ちなかった。揺れた方向などもあるだろうが、とにかくネジで留めていた耐震策は大きな効果を持っていた。

 私が帰国後、すべての書棚を一つ一つチェックしたら、その内の4つの書架の上のネジがアホになって、壁から抜けかけていた。ぎりぎりネジで固定して、今回は助かったことが分かった。私は半日掛けて、再度、ネジを停め直した。

 研究所では、地震警報通報システムを導入していた。それが初めて稼働した。
「大地震が発生しました。ただちに安全な態勢を...」とか何とか言ったので、秘書は仰天しながらも、マンションの玄関のドアをサンダルで挟み、地震が起こった後も、外に出られるようにした後で、洗面所に入り、扉を開けて、構えたところに、ゆっさゆっさと来たという。

 地震警報通報システムは、極めて有効な防御手段であった。

要点 できるかぎりの安全対策をしていたおかげで助かった。
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