書評:『極めるひとほどあきっぽい』
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『極めるひとほどあきっぽい』
窪田 良 著(日経BP社刊)
極めないうえにあきっぽいから、ちょこちょこといろんなことに手を出してみるけど続かない −−。そんな自分を反省して手にとりました。
前回、「KYを英語でいうと?」で紹介した窪田良氏の著書です。
窪田氏は、20代は学者、30代は医者、40代はバイオベンチャーの創業社長と、幼少期から好きだった「眼」を軸にキャリアチェンジをしています。
もちろん他にも好奇心の眼は向いていて、宇宙飛行士や俳優といった職業にも挑んでみたそうですが、物理的理由やコミットメントなどいろんな理由があって、潔く断念しています。
ここで大切なのは、好奇心のままに、とにかくやってみるという姿勢だと思います。やってみないと、本当にやりたいことなのかどうかわからないことは人生の中でたくさんあります。やってみて自分には向いてないとか、やめる理由がみつかれば、やめればいい。
例えば、好奇心の対象が100個あるうち、やってはみたけど極めるほどのものではないことが3つあったとしたら、残り97個になります。こうやって絞り込んでいくと、仏師が木から仏像を掘り出すように好奇心が形づくられ、磨きがかかります。
プロローグ「10年ごとに違う自分になる」に、こういったことが書かれています。
「だるま大師の「面壁九年」の故事が指し示しているように、一つのことを成し遂げるには、一定期間、脇目もふらずに努力する必要がある。
我が身を振り返ってもそれぞれの10年間で目の前のことに集中してきた。一つのことに集中する期間は10年がいいところだと思う。」
好奇心に対して10年ごとに違うアプローチを選んできた窪田氏と比較するのは恐れ多いのですが、私自身の人生は、社会人になってから5年ごとに新しい自分に挑んできました。学生には、「卒業」という節目があるのに、社会人にはそれがない、自分で節目を設定しなければ成長を感じられないのでは −−。そんなことを社会人1年目の頃に考えていたのをよく覚えています。
私の場合は、ジェネラリストとして、いろんな環境で生きていける人間になりたいというささやかな好奇心を持っていたのでしょう。大阪のパナソニック時代、シンガポールでパナソニックを卒業して現地で転職した時代、東京で15カ国以上の多国籍メンバーがいた外資系ベンチャー時代、それぞれ約5〜6年。そして今、とある目的があってフリーランスでPRコンサルタントをやっています。つきつめると私が極めてきたのは、「仕事と人生を楽しむための適応力」なのかもしれません。(この本にかこつけて自分の極みを探してみました )。
最後に、私がこの本の中で気に入っている言葉を紹介します。
☆ いい意味の飽きっぽさは厳しい時代を生きる武器になる
☆ 正しい戦略は一つではない。
自分を信じて、第一歩を踏み出そう。
窪田氏の人生を真似ることはできませんが、それぞれに人生を歩んでいることにかわりはないのですから、極める人が何をどう学んで生きてきたのかを知るのは、いくつになってもいい学びになるのではないでしょうか。
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