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ある時はコンピュータの製品企画担当者、またある時は?

無線で縛られる身分

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アメリカはアリゾナの砂漠を一人でドライブしていると、ふと前後に車がなく360度見渡す限りの地平線という状況に出くわすことがあった。何とはなしに車を止めて外に出ると、ねっとりとした熱気に包まれると共に、人工的なものは道路と運転中の車しかないことを今更ながらに実感する。そして僕という存在を認知している人間が現在どこにもいない、世界の誰の目からも見えない開放された状況にあることを思うと、ごくわずかの恐怖心と圧倒的な自由に全身をさらしていることに気づく。開放感は自由で愉快であった。だけどはるかかなたに一台の車が見えたりすると、急にその思いはしぼんでしまう。

今はそんな開放感とは無縁の生活を送っている。昨今の流行はむしろ束縛感が重要で、電車の中で周囲を見ても、皆盛んに携帯電話に着信メールがないかどうかをチェックしたり、メールの作文にいそしんだりしている。どうも束縛イコール安心感という図式の方が、一般的には勝っているようだ。

当人が好むと好まざるとに関わらず、安全は何にも代えがたいとの判断から、娘にGPS付き携帯電話を持たせることにした。習い事をすると、どうしても一人で街中を歩くことは避けられない。物騒な世の中なので、犯罪の抑止力となるものは必要だし、万が一の際にも対策は立てやすくなるに違いない。大人自身が束縛されることから得られる安心感と同様に、束縛する側においても安心感がもたらされるというわけだ。でもそんな機能が本当にどこまで効果的なんだか、僕自身よくわからない。

いざ購入すると機能をあれこれと試したくなる。GPSを使って携帯電話の位置を検索かけると、実際とおそらく150メートル程度の誤差があった。防犯ブザー機能がついていて、ヒモを引っ張ると、同時に予め登録済みの宛先に自動的に電話がかかり、さらに緊急でメールが発信される。メールには地図情報が添付されていて、今度は誤差はわずか10メートル程度のものであった。どうも緊急事態用の地図と通常用のそれとは、精度に割合大きな差がついている。まあこんな機能は使わないに越したことはないが、保険料だと思えば安いものだ。

娘と同じ習い事をしている、他の子供達を見て同じ思いの親が結構いることに気が付いた。携帯電話会社もよいところに目をつけたものだ。子供を紐で縛ることはできないけれど、無線で縛っておくことはできるわけだし、そうしたい大人達の財布のヒモを緩めることにも成功しているわけだし。

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