輸出産業の草分け、伊万里焼... 戸栗美術館
ポカポカ天気の昼下がり。渋谷駅行きのバスをNHKセンター前で降り、坂を登っていく。観世能楽堂を通り過ぎて少し行くと、右側に戸栗美術館の建物が見えてくる。
旧鍋島藩邸跡地に建つ戸栗美術館。ウェブサイトのトップページには、創設者戸栗亨氏のごあいさつが。
昭和20年代初頭、終戦後の混乱の中で、アメリカをはじめとする西欧文化が非常な勢いで流入すると共に、日本古来の文化や生活様式が次々と消え去っていきました。その様子を見て私は、未来を創造していく子供達が、これらを知らずに成長して行くのではないかと危惧致しました。そしていつしか「古民具館」のようなものを作り、先人の英知を次世代へ伝えるべく日頃親しんできた生活の道具である民具や文具を蒐集保存し、一般公開したいと志すようになったのです。
その後、古美術に造詣の深い友人達に恵まれ蒐集品は次第に鑑賞陶磁器を中心とした内容になりました。昭和62年10月、美術品を永久的に保存し、広く一般に公開することを目的に財団法人の認可を受け、旧鍋島藩屋敷跡地に当館を開館致しました。以来数多くの方々のお力添えを戴き、現在では日本のみならず世界的にも評価の高い古陶磁専門美術館として活動しております。
若き日に夢見た後世への文化遺産伝承の一助となれば、望外の幸せでございます。
「吉祥文様展 - 祝いのうつわ -」 という展示をやっていた。松竹梅、鶴亀、龍、桃など、おめでたい文様で飾られた器の数々。亀甲のような幾何学模様と、鶴や龍といった動物の躍動的な姿が見事に調和していて、そのセンスのよさに惚れ惚れしてしまう。文句なく美しい。
海外では "Imari" として名高い有田焼。ウィキペディアによると、その有田焼が始まったのは、1604年とも1616年ともいわれている。1650年にはオランダ東インド会社を通じ輸出が始まったらしい。中国やリバースエンジニアリングを重ねてドイツ・マイセンでも白磁が作られるようになったのは、1709年のことと、同じウィキペディアにある。
なんだ、猿真似は日本のお家芸かと思ったら、ヨーロッパも同じじゃない。米国建国の100年以上前に、日本は先端技術の輸出を果たしていたのですね。