オルタナティブ・ブログ > 「Time is money」から学ぶマーケティング戦略 >

今までの経験から、マーケティング戦略を考えるにあたって「時間」という概念は切っても切れないものであると思います。そこで、先人の残した言葉「時は金なり(Time is money)という言葉を再度心に留め、時間とマーケティングの関係について考察します。

スマホを使いこなしても自由な時間が増えない人

»

"Today,Apple is going to reinvent the phone. An iPod,a phone and an Internet communicator. An iPod,a phone... Are you getting it? These are not three separate devices. This is one device,and we are calling it iPhone."

(今日、アップルが電話を再発明します。iPod、電話、インターネット端末。これらは3つの別々のデバイスではありません。一つのデバイスです。これをiPhoneと名づけました。)

これは、iPhoneが発売された時の、スティーブ.ジョブズ氏のプレゼンである。
近年におけるイノベーションとしては、最大級のものであることは誰もが認めるところであろう。
iPhoneをはじめとする、いわゆるスマホのおかげで我々の生活は大きく変わった。
目的地までの道順を事前に調べておく必要もなくなったし、飲食店のクーポンもその場で入手できる。
音楽も好きな時に購入できるし、メールも職場のPCでなくてもチェックできる。デスクに座っていなくても、コンサートチケットも予約できるし、株の売買だってスマホでできる。英会話の勉強で、Skypeも使える。写真をとって、すぐにブログに投稿できる、有名人のTweetをいつでも見える...

さて、こんな便利なスマホを使いこなして、我々の暮らしはどんどん便利になり浮いた時間でさぞかし有意義な休日を...なーんて思っている人が何人いるだろうか...

私自身、スマホを使うようになり、『返って自由な時間が少なくなった』とすら感じる。
いつでもどこでも、なんでもできてしまうということは便利なのだが、なんでもできるということはなにをするかの選択が大切になってくる。

何かができるようになったおかげで、できなくなったことも必ずあるのだ。


私は、1時間以上かけて会社に通勤しているので通勤時間を資格試験の勉強や、読書の時間にしていた。
ところが、今はどうだろう...スマホを立ち上げると、Facebookのお知らせ機能が友人の投稿を知らせてくれ、アプリがニュースの配信を知らせてくれる、LINEの通知もくるし、私がチェックしているHPの更新も知らせてくれる、メールアプリは未読メールの数を表示してくれる...

望む、望まないに関わらず、スマホによって私の通勤時間は、読書をする場からSNSやニュースを読む時間にかわった。そのこと自体がどうということではなく、時間をどのように使うかということの決定権がどちらにあるか、すなわち自分の意思でそれらをしているのかということに危機感を感じた。


以前は「今日は問題集の○○ページまでを復習しよう」とか「あの本を読もう」を決めて電車に乗っていた。ところが、今は出勤前に読もうと思ってカバンにいれた本もスマホを使っているだけで通勤時間を使ってしまい、本を全く読まずに家に帰ってくることも少なくない。同じように感じている人もいるのではないだろうか...。

 

ここで、従来の発明によるイノベーションと今回のスマホの発明によるイノベーションを「時間」との関係という観点から比較をしてみたい。過去のイノベーションは電話も車も冷蔵庫も電子レンジも洗濯機も人間の生活における必須の作業を軽減し、浮いた時間をもたらしてくれたと言えよう。

電話やテレビの発明は、手紙でしかできなかった情報伝達を可能にして情報伝達の時間を大きく短縮したし、車の発明は移動時間の短縮を実現した。

ところが、今回のイノベーションは必ずしも浮いた時間をもたらしてくれるものではなく、少し違うのではないか。スティーブ氏も言っているように、iPhoneは電話とiPodとインターネット端末を一つにしたものだ。
過去の電話やテレビや車の発明とiPhoneの発明が決定的に違うのは、前者が「作業時間そのものを削減する」発明であるのに対して、後者は「いつでもどこでもできる」ことを可能にする発明という点ではないだろうか。

以前はメールチェックは、PCの前でしかできなかった。ゲームは家でしかできなかった。株は証券会社に頼まなければ買えなかった。

ところがスマホの登場によりこれらのことが全て「いつでもどこでもできる」ようになったのである。
「いつでもどこでもできる」ことは必ずしも「効率的」になるとは限らない。メールをチェックし、返信をすることはPCからすることが一番早いであろう。ところが、いつでもどこでもメールのチェックができるために、返信まで移動中にしようとすると意外と時間がかかるものである。いつでもどこでもできるようになったことにより、いつやることがいいのか、どこでやることがいいのかを考えなければならなくなったということではないか

少し前までは、「しばらく出張でメールのチェックが遅れてまして・・・」と言えたことがそうは言えなくなってきている。
このことが、便利なスマホの登場によってかえって自由な時間は減っていると感じる要因になっているのではないか。
「できない」ことはとても便利な言い訳なのであるなんでもいつでもできる」時代には「なぜ今これをするのか?」を考える必要がある。すべて「今でしょ!」は無理なのである。
車を使えば、歩いて行くより「誰でも」効率的に移動できるが「いつでもどこでもできる」スマホの発明により効率的になるかどうかは「使う人次第」なのではないだろうか。

私は、通勤時間に何をするかの決定権をスマホから取り戻すことから始めてみたいと思う(笑)

Comment(0)